お城散策妄想記録帳 第1回 小川城(群馬県)

城びと読者のなかには、定年退職を機にアクティブにお城めぐりをしている方も多いのではないかと思います。元々お城好き会社員だった城びと読者の“青春の巨匠”さんもその一人。城めぐりに拍車がかかると同時に、時間もたっぷりあるのでこれまで出張の合間や休日などに行ったお城の記録をまとめはじめたそうです。無理を言ってその記録を見せていただくと…。訪れた感想はもちろんそのお城の歴史や背景まで調べ物語風に記し、最後には青春の巨匠さんならではのお城の評価も! そこで、せっかくなのでその一部を城びと読者にもご紹介したいとお願いしたところ快諾いただきました。
有名なお城や日本100名城などに選定されているお城はもちろん、地元の人でも知らなかった!というようなお城まで幅広く訪れてきた青春の巨匠さんの記録。ちょっとマニアックな、お城仲間の登城記録を覗き見る気分で、お楽しみください。 第1回でご紹介するのは、名胡桃城からほど近い要害堅固な小川城。この小城にまつわる驚きのストーリーとは?

小川城
本丸に設置されているとても立派な城址碑

小川城の主、小川可遊斎の国盗り物語

戦国の上州に小川可遊斎(かゆうさい)という武将がいた。

真田氏と北条氏が争った名胡桃城(群馬県)の5Kmほど北、利根川の上流の川岸にある小川城(群馬県)という小城の主である。この漢、一般には無名ながら「いかにも戦国者」といった波乱万丈の物語の持ち主だったという。もともと京の北面の武士だったらしいが浪人し、流れ流れて上州小川郷に現れたそうだ。なお、このときは赤松則村の末裔、赤松捨五郎と名乗っていたらしい。

大永年間(1521~1528)の京は、管領・細川高国(ほそかわたかくに)の失政で内乱が続いており、その余波で捨五郎は浪人となってしまったという見立てもある。このころ関東は小田原の伊勢氏綱が北条姓を名乗り、関東一円に進出を始めたころであり、小川郷も山内上杉氏与党として小田原北条氏の攻勢にさらされていたのである。

元々小川郷は越後勢や信州勢などが関東に進出する際の交通の要地。領主たる小川氏は、北条勢を迎え撃って戦死した当主の後継を巡って骨肉の争いが起きていた(この死にざまが煮えたぎる酢甕に落ちて死んだというのだから、凄まじいというかオウンゴールに近いのだろう。この話を掘り下げても面白いかもしれない)。最初は客分として小川城に迎えられた捨五郎であったが、その才を見込まれ、軍師的立場で軍議に参加するようになり、あれよあれよという間に先代の後家さんを娶って越後上杉氏の後ろ盾を得、小川可遊斎として小川家を乗っ取ってしまったという。もともとその目論見で上杉氏から派遣されたのかもしれないが、世は戦国、女性にもてるのも実力の内。実力あるものが推戴される訳だ。

ただしその実力は、色事だけにとどまらず、北条方に下った沼田勢の後詰に駆け付けた北条軍を完膚なきまでに撃破したことで、当時大いに名声を博したようだ。最終的には惨敗に激怒した北条氏邦の大軍による再攻に、小川城に籠城して激しく抵抗するものの力尽きて越後に逃走。再度の浪人となって歴史から姿を消すのであったが…。

斎藤道三の国盗り話はよく知られているが、そのミニ版のようだ。小城とはいえ一城の主となり大北条氏とがっぷり戦ったのだから、戦国武将としてもっと知られても良い存在じゃないかと思うわけである。

なお、本丸櫓台跡に小さな稲荷社が祭られている。説明書きによると11月の縁日には可遊斎を始めとした小川一族を偲び、近在の方々が五穀豊穣を祈って五色旗を奉納するらしい。可遊斎が郷土の誇りとしていまだに慕われている証ではないだろうか。

小川城、空堀
本丸櫓台跡にある稲荷社

要害の崖端城・小川城の遺構が語るものとは

さて、この可遊斎の城である。利根川が作り出した渓谷にせり出した河岸段丘の断崖に三方を囲まれた立地で、後に陣屋が建てられた二の丸・三の丸と、要害部の本丸間に深い空堀を備えた典型的な崖端城である。1000人も籠城したら一杯になってしまいそうな小城でもある。

今は、上越新幹線の工事で崖下の沢が埋め立てられ、さらには二の丸を清水峠に向かう国道が横断してしまっており、おかげさまで登城が楽ちんなのだが、その割には本丸と折を備えた空堀など遺構が良好に残り、予想以上に見応えがある城址だ。一部石垣の痕跡が残るが基本は土の城である。江戸時代には二ノ丸三の丸に沼田藩の次男坊三男坊の捨扶持の屋敷が設けられたようだが、本丸をはじめとする要害部はそのまま捨て置かれたようだ。

崖端城によく見かける崖から突き出た笹郭がこの城にもある。本当は純粋に軍事用施設だったのかもしれないが、利根川に突き出た笹郭は利根川を見渡す絶景だったわけで。笹郭はこの城の最奥部でもあり、城主の奥方が住まう事もあると聞く。ここで若い後家さんとしっぽり月でも見ながら酒を酌み交わし甘美な時間を過ごしたのだろうか。願わくば愛のない政略結婚ではなく、戦に破れて越後に走る可遊斎の隣にこの後家さんがいることを想像してしまうのは、還暦も過ぎたというのに相変わらず甘いなあと思うのだった。

小川城、空堀
本丸・二ノ丸間の深い空堀

<青春の巨匠的!お城ポイント>
遺構の状況 ☆☆※ 本丸のみだが良好に遺構が残る。
歴史への加担度 ☆※  上杉方・北条方の境目の城。
登城難易度 ※  二ノ丸を国道が貫通し、本丸へは徒歩1分。
ホスピタリティ度☆☆※  城内に巨大な手書きの由来書きあり。管理者の熱意を感じる。
妄想惹起度 ☆☆☆  空堀の深さと笹曲輪の土塁が、戦と色事の残滓を感じさせる。

小川城の基本情報
<住所>
群馬県利根郡みなかみ町月夜野
<アクセス>
JR上毛高原駅から徒歩約4分

執筆・写真/青春の巨匠
少年時代から小説など主に読書を通じて戦国時代ファンになる。大学で自主製作映画作りにハマりイベント業界へ。「お城EXPO」の立ち上げにも参加した。昨年、40年近く務めたイベント会社を退社。仕事では国内・海外問わず出張が多かったが、行く先々で時間を見つけては城巡りを敢行して一人楽しんでいた。歴史小説・推理小説などを中心に年間50冊程度の読書と、映画鑑賞、怪獣のフィギュア収集・プロスポーツ観戦など城巡り以外にも多彩な趣味を持っている。