萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第32回 諏訪原城 圧巻の丸馬出!駿河と遠江の国境に築かれた最前線の城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。32回目の今回は、武田勝頼が台地の上に築城した諏訪原城(静岡県)巧妙な設計で見ごたえのある丸馬出など、山城初心者におすすめの必見ポイントをご紹介します。



諏訪原城、二の曲輪
ニの曲輪中馬出

徳川家康との攻防で、武田勝頼が築城

諏訪原城は、駿河から徳川家康領の遠江へ侵攻した武田勝頼が、天正元年(1573)に馬場信春に命じて築かせた城です。駿河と遠江の国境、大井川の西岸にあり、大井川下流域と菊川に挟まれた牧之原台地の北端近くに築かれています。

当時の大井川は牧之原台地に沿って流れ、城の背後は河川と断崖に守られていたようです。台地の先端を空堀で分断し、空堀の内側に本曲輪、外側に二の曲輪を配置。二の曲輪の外側にも巨大な外堀をめぐらせた、扇のような形をしています。

築城の目的は、大井川沿いの防衛線、徳川方が遠江の拠点とする掛川城(静岡県)などの牽制、高天神城攻めの前線基地としての機能でしょう。武田方にとって、遠江攻めの重要な橋頭堡だったことは間違いありません。天正2年(1574)に高天神城(静岡県)を攻略すると、兵站(へいたん)基地としての役割を担いました。

しかし、天正3年(1575)の長篠・設楽原の戦いで勝頼が大敗すると、形勢は逆転。諏訪原城はすぐさま家康に攻略され、武田方の城から徳川方の城へと大改修されました。

諏訪原城、横堀
二の曲輪を取り巻く横堀

全国トップクラスの「丸馬出」が見もの

外堀には3つの虎口が設けられ、それぞれ土橋がかかり、前面に丸馬出が配置されています。この丸馬出が、諏訪原城の最大の見どころです。近年は発掘調査や整備が進み、丸馬出の規模や構造がよりわかりやすくなりました。城全体や巧妙な設計も楽しめる、山城初心者にもおすすめの名城です。二の曲輪中馬出と二の曲輪北馬出、二の曲輪南馬出と二の曲輪東馬出は、それぞれ土橋で繋がれてセットで機能する「重ね馬出」。大小5つの丸馬出を駆使して虎口を複雑化した巧妙な設計になっています。

台地上にあるため横堀も駆使され、どれも見ごたえがあります。本曲輪東側の搦手も、なかなかの設計。削り込まれた切岸の直下に、変則的に折れ曲がる横堀と土塁が設けられています。山腹を防備する強烈な工夫から、戦いの最前線にあった緊迫感が伝わります。

諏訪原城、ニの曲輪中馬出
二の曲輪から見た、外堀とニの曲輪中馬出

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。