戦国武将と城|小和田哲男 <徳川家康と城>第3回 家康入城以前の江戸はさびれた漁村だったのか

天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めで戦国大名北条氏が滅ぼされたとき、その遺領が徳川家康に与えられることになった。北条氏の本拠の城は小田原城で、小田原城は最終的には無血開城の形だったため、城の建物などはそのまま焼けずに残っていた。このような場合、ふつうは、あとから入る武将はそのまま小田原城を居城とすることが多い。ところが、このとき、家康は駿府城から小田原城ではなく、新たに武蔵の江戸城を築いて移っているのである。

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