超入門! お城セミナー 超入門!お城セミナーまとめ【構造編 Vol.3】

初心者向けにゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。お城を鑑賞していると「この設備はどうやって造られたの?」「この構造にはどんな意味があるの?」といった素朴な疑問を抱くこともあるのではないでしょうか? そんな「お城の構造」に関する記事をまとめましたので、ぜひ参考にしてください。

石垣は“石を積んでいる”だけなのに、なぜ崩れないの?

天守と並ぶ近世城郭のトレードマークと言えば、石垣。でも、昔はコンクリートなんてないから、石垣は“石を積んでいる”だけ。それなのに、なぜ現代まで崩れることなく残っているのか?

もちろん、石垣はただ“石を積んでいる”わけではありません。石垣全体の強度を上げるため、その角っこにあたる隅部の積み方にさまざまな工夫が重ねられていました。その代表的な技法が、慶長10年(1605)ごろ、いわゆる「慶長の築城ラッシュ」に完成した算木積です。

城、石垣の隅
城を守る石垣は、なぜ数百年もの間崩れず現存しているのだろうか。その鍵は石垣の隅に隠されている…

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第95回【構造】石垣を崩れにくくするための積み方って?

水堀と空堀──それぞれどんな防御力があったの?

石造りの近世城郭で石垣とセットで存在するのが、城へ攻め込もうとする敵を阻む水堀。しかし、山上に築かれた山城にあるのは水堀ではなく、土造りの空堀。山城に水堀がない理由は、単純に立地によるものだと想像がつきますが、では水堀と空堀とでは防御能力に違いや差があるのか?

パッと見の第一印象では、数十mもの幅がある広大な堀に満々と水が張ってある水堀の方が攻めづらそうですよね。でも空堀だって、「敵を防ぐ」という軍事設備としての役割は充分に果たすことができたのです。

玄蕃尾城、堀
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣として築かれた玄蕃尾城(滋賀県/福井県)の堀。戦国時代に造られた城はもちろんだが、築城年代が比較的新しくても基本的に山城に備えられるのは空堀である

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第112回【構造】空堀と水堀はどうやってお城を守っていたの?

造りが異なる全国各地の城には“共通のパターン”がある!

城の造り方に厳密なルールはなく、全国各地に建てられた近世城郭は見た目も広さもそれぞれバラバラ。でも、曲輪(陣地や蔵などを造るために堀や土塁で区画された平場のこと)をどう配置するか、どんな虎口(出入口)をどこに造るか…という縄張の仕方によって、ある程度種類分けができます。

とはいえ、城の縄張にもこれといった決まりがあるわけではありません。敵の攻撃を防ぐための効果的な曲輪配置としていくつかのパターンがあり、そのパターンに応じて「輪郭式(りんかくしき)」、「梯郭式(ていかくしき)」、「連郭式(れんかくしき)」の3つに大きく分類できるのです。

篠山城の縄張
輪郭式に分類される篠山城の縄張。内堀内に本丸と二の丸があり、これを囲むように馬出を持つ三の丸が設けられ、その外側には三の丸が広がる(『正保城絵図』部分 国立公文書館蔵)

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第98回【構造】お城の曲輪や出入口の配置の仕方にはルールがあったの?

天守with天守台で高さを比較!“真”の最大の天守は?

城郭に高くそびえる天守を見上げると、「でかいなぁ」と無性にワクワクしますよね。そこで素朴な疑問として湧くのが、史上最大の天守は何城なのか?ということ。

通常、天守の高さは建築部分だけの数値を示すのが一般的ですが、天守を見る時は天守台の下から眺めますよね。そこで、天守台も含めた数値で比較し、<現存天守><復元・復興天守><消失した天守>という分類別にランキングを紹介します。

姫路城、天守
現存天守1位は姫路城。堂々とした天守台の高さも現存1位

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第113回【構造】ランキング発表! 天守台を含めた本当に史上最大の天守はどこ?

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第95回【構造】石垣を崩れにくくするための積み方って?
第98回【構造】お城の曲輪や出入口の配置の仕方にはルールがあったの?
第112回【構造】空堀と水堀はどうやってお城を守っていたの?
第113回【構造】ランキング発表! 天守台を含めた本当に史上最大の天守はどこ?

執筆/城びと編集部

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