【続日本100名城・富山城】『加賀100万石』前田家の血を継ぐ!富山藩前田家の居城

JR富山駅より徒歩15分、高いビルが並ぶ開発された都市の中に凛として佇む城跡があります。戦国時代に築かれた富山城は、あの上杉謙信からも攻められた歴史がある城。江戸時代には「加賀100万石」でお馴染みの前田家から分家した、富山藩が立藩しました。見どころの鉄門跡や鏡石、フォトジェニックスポットの千歳御門、そして富山城と切っても切り離せない神通川についても取り上げます!

戦乱の渦中にいた中世の富山城

中世富山城、堀
発掘調査で確認された中世の富山城を示す堀跡(写真提供:富山市埋蔵文化財センター)

富山県はかつて「越中」と呼ばれていました。16世紀はじめ、加賀一向一揆勢力が越中に進出し、能登・畠山氏や越後・長尾氏の守護勢力と争いが勃発。そのため越中を治めていた武士たちは、どちらの味方につくか決めなければなりませんでした。

神保氏は、越中を治めていた氏族のうちの一家。彼らは一向一揆勢力に接近し、動乱の渦中へと巻き込まれていきます。守護勢力から追われることになった神保慶宗(よしむね)は、越後の長尾為景との戦いに破れ自害(新庄城の戦い)。亡き父の跡を継ぎ、お家の再興に取り組んだ神保長職(ながもと)は、一向一揆が支配していた現在の富山県南部の一角にある太田保へと進出しました。天文12年(1543)、その足がかりとして築かれたのが富山城(富山県)です。

この神保氏の進出は、隣接する椎名氏との争いへと発展(天文の大乱)。神保氏は勝利しますが、結果的に越後の上杉謙信を怒らせ、拠点としていた富山城は攻め落とされてしまいました。

天正10年(1582)には、織田方より佐々成政(さっさなりまさ)が越中に派遣され富山城主に。謙信の死後も織田信長の侵攻により、越中の武士たちは上杉方と織田方の2つの勢力間で悩まされます。

信長亡き後、豊臣秀吉と成政は対立し、成政討伐と共に富山城も破却されてしまいました。このように、富山城は富山の中世史を語る上で欠かすことができない中枢の城なのです!

富山城、かわらけ、茶臼
富山城で出土した中世ものと考えられるかわらけ(左)や茶臼(右)の遺物(富山市教育委員会所蔵)

中世の富山城は古絵図もなく、文献史料もわずかなため実態はわかっていません。本丸や西之丸で行われた発掘調査から、戦国〜安土桃山期の富山城の堀跡や鍛冶工房跡などの遺構、また多量のかわらけや、火をうけて半分に割れた茶臼といった遺物が見つかっています。

前田家の新たな歴史が!近世の富山城

富山城、富山市郷土博物館、鉄門
水堀越しに見る富山城のシンボル、富山市郷土博物館と鉄門(くろがねもん)跡

秀吉の天下になったあと、富山城のある新川郡一帯は前田利家に与えられました。息子の利長や家臣の前田長種が城主となりましたが、現在のような近世城郭の姿に整備したのは慶長10年(1605)に入城した利長です。

しかし! 入城からわずか4年後に富山城は火災で焼失。利長は高岡城(富山県)へ移り、富山城は再建されることなく元和の一国一城令で廃城となりました。

そんな富山城が再び日の目を見るのは寛永16年(1639)のこと。加賀藩3代藩主前田利常の息子・前田利次は、加賀藩より10万石を分与され富山藩を立藩。明治まで富山前田家13代がこの地を治めました。当初は新城築城のための仮住まいだったのですが、計画は変更に。幕府より許可を経て本格的な整備を行い居城としたのです。

富山城を歩いてみよう!

富山城、富山城址公園
富山城址公園内にある看板を撮影したもの。富山城の大きさがよくわかる! 城址公園となっているエリアは本丸と西之丸がまるごと収まるほどの大きさ。城域全てを含めると南北610m、東西680mと意外にも広かった

富山城は、北西を神通川(じんづうがわ)、東をいたち川、南を四ッ谷川に守られた微高地に築かれた城です。本丸御殿が建つ本丸を中心に、西之丸・東出丸・二之丸の馬出し曲輪が設けられ、その周りを三之丸が囲む梯郭式の縄張りでした。本丸のすぐ北には神通川が流れ天然の要害として機能していました。 

富山城、礎石
二階櫓門の礎石。富山市郷土博物館入口横に展示されているので見逃さないで!

寛文元年(1661)幕府より修理の許可がおり、天守と櫓3基、門3棟の新築が認められましたが、実際には富山城に天守や櫓はなく1基の二階櫓門しか新築されませんでした。

この二階櫓門は二之丸入口を守る役割を果たし、明治になると学校の校舎として利用され、明治16年(1883)に解体。現在、城址公園内には二階櫓門唯一の痕跡となる礎石が公開保存されています。

虎口を固める石垣と鉄門跡の鏡石が見どころ

富山城、石垣、鏡石
常願寺川の石は安山岩、早月川や黒部川から運ばれてきた石は花崗岩だ。左右の石垣、そして奥の石垣にある巨石が鏡石

富山城の石垣は、本丸の鉄門・搦手門、二之丸の枡形門にのみに用いられ、全体を通して土塁が主体の城造りであることがわかります。石垣は、富山県内の常願寺川や早月川、黒部川から運ばれた河原石が使われ、鉄門跡の枡形内にある5ヶ所(研究者によって6ヶ所という見解も)の鏡石が特徴的です。

ちなみに「鏡石」とは、他の石に比べて大きい石のことで、一説によると巨石を配置することで権力を見せつける効果があったとか! 確かに威圧感はすごいし、訪れる人々の目線を独り占めにしている感じがありますね。

▶︎併せて読みたい記事

富山城、刻印
写真中央に「卍」の刻印が見える。城内で確認される刻印のうち「卍」と「十」が一番多いそう

また刻印は90種類、250個以上が確認されています。「刻印」とは、石に刻まれた印のことを指し、石工同士が識別のために刻んでいるとも、呪術的なおまじないの一種とも考えられており正確な理由はわかっていません。目で見える先人達の痕跡を見つけると、ついつい興奮してしまいますね!

映えスポット千歳御門と、江戸時代の終わりに築かれた千歳御殿

富山城、千歳御門
総欅(けやき)造り、大型の三間薬医門だ!

富山城といえば、門越しに富山市郷土博物館が撮影できるアングルの千歳御門(埋門)が有名ですが、実は元からこの位置にあった門ではありません。嘉永2年(1849)に、10代藩主前田利保(としやす)が隠居所として築いた千歳御殿の正門として設けられ、明治初期に一度解体され民間に払い下げられました。門は平成になると富山市に寄贈され、平成18年(2006)〜平成20年(2008)に園内へ移築されたのです。

富山城、千歳御門、屋根瓦
現在の家屋では2枚重ねが主流だが、千歳御門の屋根瓦は3枚重ねの本瓦葺き。雨漏りを防ぐための工夫だ! 軒丸瓦には富山前田家の家紋「丁子梅鉢紋」があしらわれている

千歳御殿は現在残っていませんが、当時城内で最も豪華な建造物だったようで、大名屋敷に見られる流行を取り入れ、能舞台を中心とした構造にするなど利保の趣味が垣間みれる御殿建築でした。この利保の隠居所も、わずか6年後に火災で焼失。江戸時代は火災被害の多い時代だったのですね…。

富山城の遺構として唯一現存する千歳御門を訪れた際は、千歳御殿にも思いを馳せてみてください!

富山市郷土博物館に立ち寄ってみよう

富山城、富山市郷土博物館
犬山城や彦根城を参考に設計された天守風の建物だ! 富山城の最新研究がわかるコーナーがとても面白い

富山城のシンボル的存在の富山市郷土博物館は、昭和29年(1954)富山産業大博覧会の記念建築物として建てられました。平成17年に中世以来の富山城の歴史を紹介する博物館としてリニューアル開館し、また戦災復興期を代表する建築物として国の登録有形文化財にもなっています。

映像や展示パネルで学べる富山城の歴史。富山城を訪れたら併せて立ち寄ってみてください!

ちょっと足を伸ばして神通川へ行ってみよう!

富山城、常夜灯
森林水産会館前にある常夜灯

富山城、舟橋、石垣
舟橋の架橋下には江戸時代の石垣が残る(→の部分)。あまり知られていない隠れたスポットだ

富山城と切っても切り離せないのが神通川です。初代藩主・前田利次の頃、城下町の整備に取りかかり神通川の船橋を移しました。「船橋」とは、船を並べて橋にしたもので、ここでは64艘を鉄鎖でつなぎその上に板を敷いて渡ったそうです。寛政11年(1799)には手伝町町年寄の内山権左衛門によって明かりを照らす常夜灯が寄進され、富山市を代表する名所となっています。

明治になると川の本流が移り、昭和までに一帯は埋め立てられましたが、舟橋南町交差点や森林水産会館付近には、今でも江戸時代の神通川の痕跡が残っているのです。城址公園内だけではなく、街の中も歩いて当時の痕跡を見つけてみてくださいね!

富山城の基本情報
住所:富山県富山市本丸1-62
電話番号:076-432-7911(富山市郷土博物館)
開館時間:富山市郷土博物館 9:00~17:00(最終入館は16:30まで)
休館日:年末年始(12月28日~1月4日)、臨時休館あり。
※公園内は立ち入り自由

<参考文献>
『富山市郷土博物館 常設展示図録 富山城ものがたり』(富山市郷土博物館、2017)

いなもとかおり
 執筆・写真/いなもと かおり <お城情報WEBメディア 城びと>
 お城マニア&観光ライター
 年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新

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