なべやまじょう

鍋山城

岐阜県高山市


旧国名 : 飛騨

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四天王神社西脇の登城口
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イオ

詰城としてならば… (2025/11/16 訪問)

鍋山城は大鍋山の本丸、小鍋山の二之丸、下鍋山の出丸からなる城で、戦国期に平野安室が築いて入り、鍋山氏を称しました。三木氏が勢力を伸ばすと養子を迎えて従うも、鍋山城を追放されて三木氏に城を奪われています。金森長近の飛騨攻めでは長近に協力して案内役を務め、鍋山城を三木氏から奪還しましたが、処遇に不満をいだいて離反し金森可重に鎮圧されました。長近は当初、鍋山城を居城とすべく城下の整備を始めましたが、やがて高山城を築いて移り、鍋山城は廃城となりました。

四天王神社脇の登城口から登城開始。神社の前まで車で行けますが、道は少々狭いのでご注意を。防獣柵を開閉して進むと藪の中に「大手」の標柱が立てられています。林道に合流して少し行ったところの開けた空間には屋敷跡の標柱が。標柱の脇を上った先にも屋敷跡らしき削平地があり、さらに行くと本丸と出丸の分岐の案内表示があったので、まずは出丸に向かいます。尾根沿いに下って行くと鞍部の手前に土塁があり、西麓からの侵攻に備えています。その先の堀切を越えて下鍋山の険しい斜面を登りきったところが出丸で、周囲に帯曲輪をめぐらせていますが広さはさほどありません。

分岐に戻り、つづら折れの登城道を登って大鍋山頂部の本丸へ。本丸は東西に細長く、東部には東面から北面にかけて石垣が積まれています。鍋山城で一番の見どころでしょうか。中央部には説明板、西部には本丸の標柱が立てられていました。本丸から西に下って小鍋山の二之丸にも。高山市の解説には「巨岩のそびえ立つ自然の要害で、西南隅に石垣が残存する」とありますが、二之丸の標柱と南辺に削り残しの土塁が見られるくらいで巨岩も石垣も見付けられませんでした。

実際に訪れてみて、山がちで麓にも平地が少なく交通の結節点とも言い難いことから、詰城としてならともかく長近が飛騨一国を統治するための城としては、やはり高山城のほうが相応しいだろうことを実感しました。
 

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ヒロケン

飛騨の城 (2025/07/05 訪問)

鍋山城は3つの山によって構築され、大鍋山山頂に本丸、小鍋山山頂に二の丸、下鍋山に出丸は配されています。本丸は標高752mの山上にあり、東側と西側に石垣が現存しています。鍋山城の築城については、飛騨の小領主鍋山氏が築城したが、飛騨南部で勢力を増していた三木氏にくだり、鍋山城は三木氏のものとなっています。
その後、本能寺の変を経て、羽柴秀吉公が天下を平定しようとしていたが、三木自綱公はこれに従わず、佐々成政公と組んだ為、秀吉公から命を受けた金森長近公の攻撃を受け三木氏は滅んでいます。秀吉公から飛騨を与えられた金森氏は最初この鍋山城を本拠としましたが、広い土地が無く、交通の便も悪かった為、高山城を築城し、鍋山城は廃城となっています。

この日、webで大地震が起こると予言されており、信じてはいなかったが取り合えず山の方へ行ってみるかと思い、前から「行ってみたい」としていた鍋山城へGO。東海北陸道を飛騨高山を目指し北進、高山市漆垣内の四天王神社をナヴィにセットし、迷わず登城口へ。
登城口から中々の急坂を登ること20分程で主郭部に到達できます。

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鍋山安室 (2024/11/14 訪問)

 大鍋山に本丸、小鍋山に二の丸、下鍋山に出丸が築かれていました。四天王神社脇から登る道が大手道で、途中屋敷跡を経由して本丸などに行くことができます。本丸方面は道も整備され比較的歩きやすくなっています。途中紛らわしい分岐した道がありますが、石柱に「→大手」などと彫ってあり何とか登城することができました。字五名より登る搦手道もあるようですが、今回は確認していません。本丸東側に石垣が残っています。本丸の西側の険しい坂を下りて行くと二の丸です。石柱を確認して引き返しましたが、帰宅後に高山市のHPを見ると「二之丸は巨岩のそびえ立つ自然の要害で、西南隅に石垣が残存する」と記載がありました。ノーマークでしたね(いつものことですが)。その後、本丸へ戻り出丸へ向かいました。途中までの道はよいのですが、堀切を越え登り始めた頃より道がわかりにくくなります。何とか下鍋山を登り出丸の石柱を確認して周囲の曲輪を散策して帰って来ました。

 

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しんちゃん

本丸周辺に残る石垣が良い。 (2023/11/04 訪問)

鍋山城は標高753mの鍋山城の山頂の尾根一帯に築かれています。元々は鍋山氏の城ですが、飛騨の国を平定した金森長近が入城し、政務を取った期間もあります。長近公はその後、高山城に移ったとのことです。登城道は四天王神社の麓の西側にあります。ゲートを開けて山道を登っていきますが、しばらく行くと林道に合流します。この合流地点は少しわかりづらいので、帰り道に見失わないように注意が必要です。しばらく登城道を登っていくと、いくつか扁平地があり左手が出丸方向で、右手の山へ登っていく道が本丸へ続く道になります。本丸を目指して登ってくとやがて周辺に残る石垣が見えてきます。虎口の南側と東側に良く残っているようです。そのまま東側より本丸に侵入し、西へ進むと二の丸へ続く道が続いています。すこし急な岩場を下りながら尾根上を西へ向かうと西の峰上が二の丸になっています。派手な遺構は無いのですが、本丸周辺の石垣を見ていると登ってきて良かったと思います。やはり山上で見る石垣は一味違いますね。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平野安室
築城年 不明
主な城主 三木氏、鍋山(平野)氏、金森氏
遺構 曲輪、石垣、堀切、土塁
指定文化財 県史跡(鍋山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市漆垣内町東ケ洞他
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156