2018/03/22
ナワバリスト西股さんと行く! ビギナー女子の山城歩き STEP2【茅ヶ崎城の弐】城の本当の入り口を見つける
山城ってどういうところを見ると面白いの? そんな山城初心者の方のために〝ナワバリスト〟西股総生先生と実際に山城を歩きながら学ぶ「ビギナー女子の山城歩き」。今回は、前回に引き続き、城を見る際の着目ポイントを学びながら、茅ヶ崎城(神奈川県横浜市)巡り。
中郭の土塁は、山を切り出してつくられた巨大なもの
中郭と東郭をつなぐ不可思議な土橋
——一行は中郭・東郭方面へと向かう。中郭と東郭との間には堀と土橋があるが、ヤブで覆われていてそれらを確認することは難しい。
(木下春圭:以下木下)
「中郭と東郭の間の遊歩道は、途中でがくっと下がってますね」
「中郭と東郭の間の遊歩道は、途中でがくっと下がってますね」
(中村蒐:以下中村)
「ということは、この部分はさらに堀が深かったのかな?」
(西股総生:以下西股)
「その通り。今は草が生い茂っていてわかりにくいですが、東郭と中郭の間には堀があり、そこに土でできた橋、『土橋(どばし)』がかかっているんです」
東郭へ登る階段の手前がへこんでいる。へこんでいる部分から左手に、東郭と中郭の間の堀がのびている
(木下)
「土橋ってなんですか?」
(西股)
「堀を掘る時に、一部を掘り残してつくる土の橋のことです。もとの地面を残すだけですから、簡単につくれる上に安定性も抜群なんですよ」
(木下)
「じゃあ、昔はその橋を渡って行き来してたってことですね」
(西股)
「ところがそうではないんです。実はこの土橋、発掘調査によって、城を使わなくなったあとに土を盛ってつくられたことがわかっています」
(中村)
「城が使われなくなってから? どうしてだろう…」
(西股)
「さっきの西郭もそうでしたけど、郭って平らでしょう? だから廃城になった後でお百姓さんが畑をつくったりするんです。そこで東郭へ行き来しやすくするために、土橋をつくったのでしょう」
(中村)
「へー! それにしても、本物の土橋は全然見えませんね…」
(西股)
「縄張り図を見ると、中郭と東郭をつなぐように線がのびているでしょう? これが土橋ですが、城の遺構ではない可能性が高いので、破線で表記してあります。縄張り図が読めるようになると、こうした情報も読み取れるようになるんですよ」
(中村)
「早く読めるようになりたいなぁ」
中郭と東郭を結ぶようにあるのが土橋[作図・提供=西股総生(以下、縄張り図はすべて同)]
実際の土橋。草が茂っていてわかりにくいが、廃城後につくられたものらしい
山を切り出してつくられた土塁に圧倒! 本丸だった中郭
——一行は、茅ヶ崎城の中心にある中郭に到着した。中郭は城内でもっとも大きな郭で、建物跡や巨大な土塁が残っている。
(木下)
「今までで一番広い郭に着きましたね!」
(中村)
「建物のあとも再現されてるんだー」
(西股)
「さて、城は外側が大事だといいましたが、何か気づいたことはありませんか?」
(木下)
「んん〜? なんでしょう、まわりが壁っぽくなっているとか?」
(西股)
「木下さん、だんだん城を見る目ができてきましたね? そう、この中郭は、入り口以外は四方をぐるっと土塁で囲まれているんです。戦国時代の城では、本丸は全周を土塁で囲むことが多いんですよ」
高さはまちまちだが、中郭の周囲は土塁で囲われている
中郭では、発掘調査によって判明した建物跡が示されている
(中村)
「本丸ってことは、中心となる一番大事な場所ってことですね!」
(西股)
「その通りです。ちなみに土塁というのは、堀を掘った土を盛ってつくる場合が多いのですが、中郭の南側の土塁は、山を削りのこして、そこにさらに土を盛っています」
(木下)
「えええ、どおりで幅が広いというか、デカイわけで…」
(中村)
「高さも相当ありますもんね」
(西股)
「縄張り図を見ると、土塁の南西に、ちょっとしたスペースがあるでしょう? ここに、盆踊りで建てるような井楼櫓(せいろうやぐら)でも組んでおけば、周囲をよく見渡せたでしょうね」
(中村)
「敵がやってきても一目瞭然というわけですね」
中郭を土塁がぐるりと囲み、南西側には櫓を建てるためのスペース(櫓台)がある
中郭の南側の土塁。山を削り残したため、土塁というより“小さな山”といった具合だ。三人が指さしている方に、物見のための櫓があった
つるつるで高かった中郭の土塁
——中郭を見た一行は、中郭より一段下がった北郭へ。城内では一番整備された区画で、トイレもある。
(中村)
「あっ、トイレがちゃんとある! これは嬉しい!」
(木下)
「さっきも地元の方らしき人が通りましたけど、改めて見ても普通の公園って感じですね。服装も靴も普段通りで大丈夫だし」
北郭は最初に入った出入口の右手側にある
トイレもしっかり完備
靴は普段履きのスニーカーでもOK
(西股)
「そうだねぇ。でも中郭の方を振り返ってご覧」
(木下)
「わあ! 壁というか、崖だ!」
(中村)
「北郭と中郭は、高低差がすごいんですね」
(西股)
「これは登ろうと思わないでしょう?」
(中村・木下)
「思いません!」
(西股)
「人工的につくった崖で“切岸(きりぎし)”というんだけど、当時は雑草などは生えていなくて、つるつるの地面がむきだしでした」
(中村)
「それじゃあ全然登れないですね…」
(西股)
「ちなみに、城兵はあの土塁の上で弓や槍を持って待ち構えていたんですよ」
(木下)
「ひええ、とてもじゃないけど生き延びられる気がしません…」
北郭から見た中郭の土塁。上から弓矢などで狙われたらひとたまりもない
攻め手になった気持ちで土塁を眺める三人。「あそこから狙われたら…怖い」(木下)
スロープの道は空堀でもなんでもない!?
(木下)
「私たちが最初入ってきた道は階段だったけど、トイレの裏側の遊歩道はスロープになってるんですね。やっぱり堀だったのかな」
(西股)
「このスロープになっている遊歩道は、堀でもなんでもなく、公園化する時に、郭を削ってつくられたものなんです」
(中村)
「えっ!? 郭を壊しちゃったってことですか?」
(西股)
「そうです。バリアフリー化や管理車両を入れるためにつくられたスロープですが、これが城の整備の難しいところですね。そもそも城は外からの侵入を防ぐ施設ですから、入りやすくするとなると、どこかの遺構に手を加えなければならない…」
(中村)
「なんというジレンマ…。単純に見やすくすればいい、というわけにはいかないんですね」
北郭。きれいに整地されている
スロープ状の遊歩道は後世につくられたもので、城の遺構ではない
(中村)
「あれ、ここに『北郭土橋』って看板があるけど…。どれが土橋だろう?」
(木下)
「看板が立っているだけで、生け垣があるし、橋らしきものはないですよね…」
(中村)
「しかも、この生け垣の向こう側って道路ですよね」
(西股)
「本当に橋があったか疑ってますね? そしたら、裏側にまわってみましょうか」
北郭土橋の看板付近をのぞき込む二人。しかし、その痕跡はまったく見あたらない
——北郭を出て裏側にまわってみると、ちょうど看板の裏側にあたる位置に、台形のコンクリート擁壁があった。これが土橋の跡である。
(中村)
「あっ、この台形はもしかして!」
(木下)
「土橋の跡じゃないですか!? 『土橋』って看板も立ってるし」
生け垣の反対側には何やら思わせぶりな台形のコンクリート擁壁が。手前の道路がもともとは空堀だったとすると・・・
「なるほど、これは土橋の跡か!」(木下) 縄張り図と比べてみよう
(西股)
「その通りです。手前の道路が堀だった、と考えるとわかりやすいですよね。今は道路の反対側は住宅になっているけれど、かつてはここにも郭がありました。昔の城兵は、その郭から土橋を通って、北郭へと入っていたんですよ」
(木下)
「それじゃあ、スロープの道はもちろんですけど、最初に私たちが入った場所も、昔は入り口でもなんでもなく…」
(西股)
「あくまでも敵の侵入を防ぐ堀で、かつての入り口はここでした。縄張り図に書き込んでみるとわかりやすいかもしれません」
(木下)
「なるほどー! 昔の郭を塗りつぶすと、どうしてここに土橋があったのかわかりやすい!」
北郭の外側に別の郭があり、そこに土橋がかかっていた当時のイメージ
(中村)
「それじゃあ駅に戻りますか」
(木下)
「茅ヶ崎城はあんなに静かだったのに、駅近くまで戻ってきたら、あっという間に喧噪な雰囲気になるのもおもしろいですね」
(西股)
「二人とも、今歩道橋を登ったけれど、後ろを振り向いてご覧」
(中村)
「後ろ? あっ、もしかしてあの山、茅ヶ崎城じゃないですか!」
(木下)
「行きもここを通ったのに、全然気づかなかった!」
(中村)
「これは写真撮っとかなきゃ!」
歩道橋から見た茅ヶ崎城。記念に写真をパチリ。実は前回、スマホで茅ヶ崎城の場所を探している時の写真の後ろにも写っていた
(木下)
「駅近だし、特に服装も心配しなくていいし、こんなに手軽に来られるなんて、城のイメージが変わりました」
(西股)
「でしょう! それじゃあ、この調子で次の城にも行っちゃいましょー!」
(中村・木下)
「ええ! 待ってください〜!」
——本当にこのまま次なる城に行ってしまうのか!? 次回もお楽しみに!
▶ 前編はこちら
▶「ナワバリスト西股さんと行く!ビギナー女子の山城歩き」その他の記事はこちら
[城名]茅ヶ崎城(神奈川県横浜市)
[アクセス]横浜市営地下鉄センター南駅から徒歩約5分で茅ヶ崎城址公園
[駐車場]なし
[見学時間]1時間くらい
[服装]普段着でOK、靴はスニーカーでよい
[トイレ]北郭に1か所あり
[その他]ベンチが各所に設けられている。近くに自販機やコンビニはないが、駅が近いのでそこで全部済ませられる。
西股総生(にしまた・ふさお)
1961年、北海道生まれ。城郭・戦国史研究家。学生時代に縄張のおもしろさに魅了され、城郭研究の道を歩む。武蔵文化財研究所などを経て、フリーライターに。執筆業を中心に、講演やトークもこなす。軍事学的視点による城や合戦の鋭い分析が持ち味。主な著書に『戦う日本の城最新講座』『「城取り」の軍事学』『土の城指南』(ともに学研プラス)、『図解 戦国の城がいちばんよくわかる本』『首都圏発 戦国の城の歩き方』(KKベストセラーズ)、『杉山城の時代』(角川選書)など。その他、城郭・戦国史関係の研究論文・調査報告書・雑誌記事・共著など多数。
執筆者・写真/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・二川智南美)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。