平成最後の築城! 江戸時代にも民衆の力で本丸御殿を再建した尼崎城

「平成最後の再建」として話題の尼崎城。3月29日から一般公開が始まりました。寄付がきっかけとなり再建に至った尼崎城ですが、実は江戸時代にも民衆の力によって本丸御殿が再建されたエピソードが残ります。そんなドラマチックな尼崎城の歴史や、オープンした天守の最新情報、尼崎城が感じられる城下町の散策についてご紹介します。

寄付がきっかけとなり尼崎城再建がスタート

尼崎城天守
江戸時代中期の『尼崎城分間(ぶんげん)絵図』などをもとに再建された尼崎城天守

尼崎城は明治6年(1873)に廃城となり取り壊されました。140年以上の時を経て、家電量販店・ミドリ電化(現エディオン)の創業者・安保詮(あぼあきら)氏が約10億円の私費を投じたのをきっかけに再建に向けて始動。「一枚瓦寄附」や「一口城主寄附」を募る「尼崎城プロジェクト」も盛り上がる中、3月29日から再建された尼崎城天守の一般公開が始まりました。

最新技術を駆使した展示で尼崎の歴史が体感できる

尼崎城址公園
尼崎城址公園には尼崎城をイメージした遊具が設置されている

現在の天守が建っている場所や向きは異なりますが、外観は当時の絵図面を元に忠実に再現されています。入城するとエレベーターでまずは5階へ。「展望ゾーン」になっており、尼崎の街並みが一望できます。4階は「ギャラリーゾーン」。2019年4月現在、尼崎出身の城郭画家・荻原一青(おぎはらいっせい)氏の「名城手拭百城」が展示されています。3階は「なりきり体験ゾーン」。貸出衣装を身につけて尼崎城主やお姫様になりきることができます。またキッズスペースも併設されています。2階は「尼崎城ゾーン」。パネル展示によって、尼崎城の歴史が分かりやすく学べ、VR(仮想現実)で再現された尼崎城下町を幅10mの大画面で楽しむこともできます。1階は「尼崎まちあるきゾーン」。尼崎の町を過去と現在を対比させた展示コーナーになっています。尼崎城グッズを取り扱ったショップもありますよ。

九曜、家紋
九曜の家紋は、築城者・戸田氏鉄と最後の城主であった櫻井松平家が用いた

尼崎城址公園に設置された鯱(しゃちほこ)をあしらった「尼崎城シャチホコ丸ポスト」もお見逃しなく。尼崎城再建と合わせて2019年3月に設置された鯱は、城の守り神であり、火事になった場合は水を吹いて火を消すと考えられていますので、縁起がいいですね。

尼崎城シャチホコ丸ポスト
「尼崎城シャチホコ丸ポスト」の鯱は、尼崎城天守に取りつけられた鯱の3分の1の大きさ

難攻不落のグルグル構造

尼崎城はもともと、南側を海、西側を庄下(しょうげ)川で囲まれた地形を生かしたお城です。本丸を中心とし、水堀で守りを固め、時計回りに二の丸、松の丸、西・東三の丸を配置する渦郭(かかく)式の形式をとっていました。攻める側からすると、本丸にたどり着くまでに、水堀に囲まれた各郭をグルグルまわりながら目指さなければならない、とても攻めにくい構造だったのです。ちなみに今回再建された尼崎城天守は、以前の西三の丸の位置に当たります。

庄下川
尼崎城の外堀の役割を果たした庄下川

尼崎城を築城した戸田氏鉄

尼崎城は元和3年(1617)、譜代大名の戸田氏鉄(とだうじかね)によって築城されました。大坂夏の陣の後、江戸幕府は大坂を直轄地とし、西国支配の拠点としました。そして大坂城の西側の守りを固めるために尼崎城が建てられました。中世から湊町として栄えていた尼崎を城下町に取り込み、さらに当時のメインストリートであった中国街道に沿った場所を選んだ、まさに海と陸の両方を重視したお城なのです。

尼崎城、本丸
本来は現在の尼崎市立明城小学校の位置に本丸があった

ちなみに戸田氏鉄は尼崎城を築城した後に、大垣城(岐阜県大垣市)に移ります。大垣城の戸田氏鉄像に見覚えのある方もいらっしゃるのでは? 戸田氏鉄のあとは、譜代大名である青山家と櫻井松平家が藩主として治めます。

江戸時代にも武士と農民が力を合わせて再建

今回再建された尼崎城ですが、実は江戸時代にも民衆の力で再建されました。弘化3年(1846)、本丸御殿が焼失するという大事件が発生。本丸御殿は藩主の住居であり、政治や外交の機能を備える、いわば尼崎城の心臓部です。再建が急務でしたが、藩主が財政の破たんを宣言するほど追い込まれており、到底再建に着手できる状況ではありませんでした。江戸時代後期はどの藩も財政難に悩まされており、尼崎藩も例外ではなかったのです。

尼崎城本丸御殿、棟瓦
弘化4年(1847)に再建された尼崎城本丸御殿の棟瓦(むねがわら)。藩主・櫻井松平家を祀る櫻井神社に保管されている

ところが、火災の見舞いに来た領内の村々から冥加金(みょうがきん)が献上されました。冥加金は特権を得た謝礼として払われる税金でしたが、尼崎藩の窮状を知る領民たちが、日ごろの感謝の気持ちも込めて尼崎城再建の献金を行ったのです。さらに人手の手配や材木の寄付も行われ、尼崎城再建に向けた工事に着手。火事からおよそ半年で再建工事が始まり、約1年で完成しました。尼崎藩内の武士、町民、農民が力を合わせて再建した「みんなの城」だったのです。

尼崎城は明治6年(1873)に取り壊しになってしまいましたので、今回、約140年ぶりに尼崎城が再建されたことになります。

城下町尼崎の姿を残す寺町

寺町
国指定重要文化財や尼崎市指定文化財が残る寺町

現在の尼崎城天守の西側に、11の寺が集中する「寺町」という区画があります。尼崎城防衛の役割も果たしました。戸田氏鉄が尼崎城を築城した当時の姿とほとんど変化がなく、往時の歴史が感じられます。また、豊臣秀吉に肥後(熊本)の地を与えられながら、一揆を押さえられなかった罪で切腹させられた武将・佐々成政(さっさなりまさ)のお墓が、法園寺に残っていますのでお見逃しなく。

佐々成政公墳墓之地
寺町の法園寺に残る「佐々成政公墳墓之地」

ちなみに、寺町の全昌寺付近には「尼崎城」デザインのマンホールもありますので、ぜひ見つけてみてください。

尼崎城、マンホール
寺町に設けられた「尼崎城」があしらわれたマンホール

寺町へは阪神尼崎駅から約300m。尼崎城と合わせてめぐるのにちょうどいい距離です。まずは尼崎城天守で尼崎の歴史を予習してから、寺町や城下町の歴史散策するのがおすすめです。


住所:兵庫県尼崎市北城内27
電話:06-6480-5646
入城時間:9:00〜17:00(受付は16:30まで)
料金:一般・大学生500円、小・中・高校生250円、未就学児無料
定休日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月2日
アクセス:阪神尼崎駅から徒歩約5分、またはJR尼崎駅南バス乗り場から、阪神バス(23番)阪神尼崎行き乗車、「阪神尼崎」下車、徒歩5分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています