2023/04/21
理文先生のお城がっこう 歴史編 第55回 秀吉の城7(聚楽第の姿)
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の歴史編。今回は、豊臣秀吉が都に築いた城・聚楽第(京都府京都市)をテーマにした第2回です。現在、聚楽第は明確な遺構が残っていませんが、果たしてどのようなお城だったのでしょうか? 文面や絵図から当時の姿を探っていきましょう。
聚楽第(じゅらくだい)(京都府京都市)の構造(こうぞう)を知る手がかりは、文献(ぶんけん)資料(しりょう)(文字によって伝達あるいは記録された資料のことです)、古絵図(近世以前に作られた地図類の総称(そうしょう)です)、絵画資料(絵図や屏風(びょうぶ)、絵巻物(えまきもの)、障壁画(しょうへきが)などの画像史料のことです)があります。今回は、そうした記録に聚楽第のことがどのように記録されたり、描(えが)かれたりしているかをまとめ、それらから解(わか)ることをまとめてみたいと思います。
文献記録に見る聚楽第
著名(ちょめい)な記録は、豊臣(とよとみ)秀次(ひでつぐ)の近習であった駒井重勝(こまいしげかつ)が記した関白秀次および太閤(たいこう)秀吉(ひでよし)の動静を詳(くわ)しく伝える『駒井日記』で、文禄(ぶんろく)4年4月10日の条(じょう)にその規模(きぼ)と門の位置が記されています。
聚楽第は本丸、南二之(の)丸、北之丸、西之丸の4つの曲輪(くるわ)で構成されていたと記録されています。本丸には、他の3つの各曲輪と接続(せつぞく)する3つの門(北之門、南之門、西之門)が存在していました。門と門の間にあった石垣(いしがき)上の壁(かべ)(土塀(どべい))の長さも記録されています。本丸南之門~北之門が180間(355m)、北之門~西之門が220間(433m)、西之門~南之門が86間(169m)で、本丸の合計486間(957m)になります。南二之丸の廻(まわ)りは184間(362m)、北之丸の廻りは192間(378m)、西之丸の廻りは130間(256m)、南二之丸~北之丸は450間(887m)、北之丸~西之丸は355間(699m)、西之丸~南之丸は222間(437m)で、合計1031間(2031m)とあります。堀幅(ほりはば)は『兼見卿記(かねみきょうき)』(神祇大副(じんぎのおおきすけ)吉田兼見(よしだかねみ) の日記です。現在、元亀1 (1570) ~文禄1 (1592) 年の記事が伝えられていますが、途中(とちゅう)欠けている部分もあります。そのほかに若干(じゃっかん)の別記があります)の記載(きさい)では20間(39m)、深さは3間(約6m)とされています。
古絵図に見る聚楽第
古絵図としては、「聚楽古城之図」(国立国会図書館所蔵『日本古城絵図』)、「山城聚楽」(浅野文庫『諸国古城之図』)など数種類が知られています。江戸前期と推定(すいてい)される絵図は、いずれも同じ原図と考えられ、国立国会図書館所蔵品(しょぞうひん)が最もオリジナルに近いと言われています。
方形の堀に囲(かこ)まれた主要部を、長方形の堀に囲まれた曲輪が取り巻(ま)く姿(すがた)です。寛永2~4年(1625~27)頃(ごろ)に描かれたとされる『京都図屏風(地図屏風)』は、ほぼ6500分の1の地図で、聚楽第の堀の形状(けいじょう)と位置が特定できる唯一(ゆいいつ)の資料になります。これにより、本丸は、北堀が一条通南方、東堀が大宮通、南堀は上長者(かみちょうじゃ)町通、西堀は裏(うら)門通付近が推定され、北之丸北堀は横神明(よこしんめい)通、南二之丸南堀は出水(でみず)通北方、西之丸西堀は浄福寺(じょうふくじ)通付近にあったものと考えられています。
「聚楽古城之図」(国立国会図書館所蔵『日本古城絵図』)。 江戸前期の成立で、数種伝わる絵図の中で、最もオリジナルに近い絵図と評価(ひょうか)される絵図になります
聚楽第は、方形の本丸の南と西に各1カ所、計2カ所の馬出(うまだし)が付設(ふせつ)する城だったことになります。後に秀次が付設した北の丸を入れれば3カ所になります。秀吉の大坂城(大阪府大阪市)の二の丸外に後付けされた玉造口(たまつくりぐち)曲輪と生玉口(いくたまぐち)曲輪も馬出で、その位置や構造は聚楽第と非常(ひじょう)に似(に)ています。門の強化策(さく)として、馬出曲輪が最も有効(ゆうこう)だと考えていたのではないでしょうか。
絵画資料に見る聚楽第
絵画資料は数多く知られています。中でも有名な絵図が『聚楽第図屏風』(三井記念美術館蔵)で、2階建ての行幸御殿(ぎょうこうごてん)(外出した天皇(てんのう)のための館のことです)を中心に、本丸内の建物が描かれています。城の建物としては、四重天守・本丸南東隅(すみ)三重櫓(やぐら)・本丸北東隅三重櫓、二重櫓が3棟、北之丸東門・本丸北門、土塀、御殿(ごてん)建築(けんちく)、井戸、台所等が描かれていますが、瓦葺(かわらぶき)建物は軒先瓦(のきさきがわら)のすべてが金箔(きんぱく)に飾(かざ)られ、檜皮葺(ひわだぶき)(檜(ひのき)の樹皮(じゅひ)を用いて屋根を葺く、日本古来の歴史的(れきしてき)な手法です)建物は棟込瓦(むなごみかわら)(屋根の一番高いところを大棟(おおむね)といいますが、その大棟瓦の下に並べて使用される瓦のことです)が金箔で輝(かがや)いています。この屏風の成立時期は、天正15~16年(1588~89)と推定(すいてい)されています。
この他『聚楽第行幸図』(堺市博物館蔵)等が伝わりますが、平成21年(2009)に新たな『御所参内・聚楽第行幸図屏風』(上越(じょうえつ)市博物館蔵)が発見されました。この屏風の素晴(すば)らしい点は、天守と表御門(ごもん)、行幸御殿が丁寧に描かれていることです。絵画ですので、誇張(こちょう)等があるのは常識(じょうしき)ですが、これ程(ほど)詳(くわ)しく書かれていれば、他の資料と比較(ひかく)検討(けんとう)することで構造や外観が判明(はんめい)してくることが期待されます。
『聚楽第行幸図』(堺市博物館蔵)。堀に囲まれた城は、白漆喰(しろしっくい)の姿で、要所に櫓が描かれ、それらが土塀でつながっています。上部中央に天守が描かれています
発掘成果との検討
こうした各種資料と発掘(はっくつ)成果を検討することで、聚楽第の構造が少しずつ判明してきました。本丸は、南北約325×東西約230mで、堀を挟んで南に付設する南二之丸は南北約90×東西約135m、西の丸は南北約75×東西約58mでそれぞれ堀が取り巻(ま)いていたようです。発掘調査(ちょうさ)によって、南堀が幅43m前後、東堀が26m前後、西堀が30m前後と判明しています。秀次時代に付設されたと考えられる北の丸は、南北約25×東西約150mで、新設されたコの字の堀幅は約20mです。
検出(けんしゅつ)された本丸大手門の西側に続く石垣(京都府埋蔵(まいぞう)文化財調査研究センター提供)。一辺0.7~1mの自然石が多く使用されていました。長さは32m、高さは3~4段が遺存、残存高は最大で約2.3mを測(はか)り、検出された石垣は最下段の物と考えられています
諸(しょ)絵図では、この本丸を外堀が大きく取り囲むように廻(まわ)っています。ところが、発掘調査で確認(かくにん)された堀は、絵図とは異(こと)なる位置にありました。外堀は、長方形ではなかったようなのです。
近年、地面をゆらして、その「ゆれ」の伝わる速さにより、地盤(じばん)の硬(かた)い所と軟(やわ)らかい所を判断するという表面波探査法(ひょうめんはたんさほう)が埋もれて見えなくなっている堀跡(あと)等の正確な情報を得るために有効だと判明したことにより、この調査も実施されました。その結果、折れを多く持った外堀が周囲を廻るという成果が得(え)られました。聚楽第の外堀は、単純(たんじゅん)な長方形ではなく、幾度(いくど)も折れながら主要部を廻っていた可能性が高まったのです。なお、従来から外堀の跡と言われる松林寺(しょうりんじ)境内(けいだい)付近の東西の落ち込(こ)みは幅約50m以上あります。
本丸の石垣(京都府埋蔵文化財調査研究センター提供)。本丸を囲む東西約200m、南北約320mの堀の南側から、2~3段積まれた石垣が、東西約7mに渡(わた)って見つかりました
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※曲輪(くるわ)
城の中で、役割(やくわり)によって区切られた一つの区域(くいき)です。近世になると「〇〇郭(かく)」「〇〇丸」と書かれるようになります。
※馬出(うまだし)
虎口(こぐち)の外側に守りを固めるためと、兵が出撃(しゅつげき)するときの拠点(きょてん)とするために築(きず)かれた曲輪のことです。外側のラインが半円形の曲線になる丸馬出(まるうまだし)と、四角形になる角馬出(かくうまだし)に大きく分けられています。角馬出の場合、石垣が築かれたものもあります。
棟込瓦(むなごみかわら)
屋根の一番高いところを大棟(おおむね)といいますが、その大棟瓦の下に並べて使用される瓦のことです。
次回は「秀吉の城8(聚楽第の天守)」です。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。