萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第55回 龍岡城 星形の小学校になった、もうひとつの「五稜郭」

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。55回目の今回は、北海道函館市の五稜郭と同じく星の形をした城・龍岡城。5つの稜堡を持つ城の構造や、全国でも珍しい「はね出しの石垣」などの見どころをご紹介します。

龍岡城
田口城から見下ろす龍岡城

幕末に築かれた特殊な陣屋

「五稜郭」とは、5つの稜堡を持つ星形をした城の総称です。一般的には北海道函館市の五稜郭が連想されますが、実は国内にもうひとつ残っています。それが長野県佐久市の龍岡城です。

龍岡城は、幕末に大給(おぎゅう)松平氏の松平乗謨(のりかた)により築城されました。大給藩は宝永元年(1704)に佐久郡内を領地とし、正徳元年(1711)に奥殿藩に改称。文久3年(1863)に佐久へ本拠地を移転したのを機に田野口藩へと改称し、慶応3年(1867)に松平乗謨が新陣屋となる龍岡城(田野口陣屋)を竣工させました。田野口藩が慶応4年(1868)に龍岡藩に改称されたことから、龍岡城と呼ばれています。

佐久は内陸にあり、函館の五稜郭のように外国船の攻撃に備えて稜堡式の城にしたとは考えられません。松平乗謨は江戸幕府の老中格、若年寄で、西洋の事情に精通していたことから、フランス式の稜堡を取り入れた龍岡城を築いたようです。近隣の陣屋と比較しても、異質といえます。

龍岡城
星形がよくわかる

版築の稜堡とパズルのような石垣が見どころ

同じ星形の城とはいえ、規模は函館の五稜郭と比べるとかなり小さく、星形の部分の面積は4分の1ほどしかありません。星形に囲まれたエリアを内郭とし、土塁、石垣、堀で囲まれます。逼迫した財政事情からか西側から南側にかけては未完成で、この面には堀がないのが特徴です。内郭の外側には、矢来柵土手で囲まれた外郭が置かれていました。北西に300mほどの新海三社神社鳥居が立つ場所に、北の入口にあたる鉤の手状の枡形が残っています。

版築による星形の稜堡のほか、そのまわりをめぐる切込接の石垣が見どころです。軟らかく加工しやすい佐久石や志賀石と呼ばれる溶結凝灰岩が用いられ、函館の五稜郭と同じ「はね出しの石垣」、多角形の石材を組み合わせた亀甲積みも随所に見られます。

星形の内部は、なんと田口小学校の校舎になっています。龍岡城は竣工から4年後の明治4年(1871)に廃城となり、建物は民間に払い下げられ、堀は埋め立てられました。星形の内部には「大広間」「書院」「台所」などが建っており、このうち売れ残った台所が明治8年(1875)に尚友学校の校舎として改築して使用されたことで、校地を囲む星形の土塁や石垣も破壊されずに残されました。台所は現在、田口小学校の敷地内に再移築されています。

龍岡城、はね出しの石垣
はね出しの石垣

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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