萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第53回 唐津城 新発見も!海に面した絶景の城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。53回目の今回は、唐津湾に面した小高い丘に建つ唐津城。近年の発掘調査で発見された石垣や出土品などを通じて明らかになったかつての城の姿や歴史を見ていきましょう。

唐津城
松浦川越しに見る唐津城

唐津湾に面した、海を望む城

唐津城(佐賀県唐津市)は、北・東・南側が唐津湾や松浦川に面した城です。満島山の標高41m地点に本丸、その南側一段下に二ノ曲輪を置き、それらを通路状の腰曲輪がぐるりと囲みます。陸続きとなる西側に二の丸と三の丸が置かれ、その外側に城下町(外曲輪)が広がっていました。

初代唐津藩主となった寺沢広高が、慶長7年(1602)から慶長13年(1608)にかけて築いたとするのが定説です。広高は、豊臣秀吉政権下で躍進した後は徳川家康との関係を深め、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績により加増されて12万3000石を拝領。新たな拠点として唐津城を築きました。

唐津城
東側からの遠望

古い石垣を発見!金箔瓦の出土も

近年の唐津城石垣再築整備事業に伴う発掘調査で、広高による築城とは異なる構造の城が姿を現しています。本丸の西・東・南面の石垣から、地中や石垣裏側に埋没した石垣がいくつも見つかったのです。

石材や積み方の特徴から、城内最古の石垣と推定されます。いずれも現在の石垣とは軸線が異なることなどから、江戸時代初期に一度埋め立てられ、その上に現在の天守台や二ノ曲輪を造成したと考えられます。

古い石垣の裏側から、金箔瓦の破片が出土しているのも見逃せません。秀吉政権との関わりを示すものであれば、秀吉が朝鮮出兵の拠点となる名護屋城(佐賀県唐津市)を築いた天正19年(1591)頃まで築造時期がさかのぼります。

広高が1602年から改修する以前に少なくとも2段階の築造が考えられ、城内最古の石垣は、1602年の築城開始直後、もしくはそれ以前のわずかな期間に積まれたことになります。唐津湾を押さえた立地なども踏まえると、朝鮮出兵に伴う何らかの関連施設があったことも考えられそうです。

唐津城、石垣
二の丸の石垣

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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