萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第43回 品川台場 幕末に築かれた「お台場」

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。43回目の今回は、アメリカ艦隊来航にあたって江戸幕府が海防のために築いた品川台場。現在残っている第三台場と第六台場の構造に注目し、在りし日の姿を見ていきましょう。

品川台場、第三台場
第三台場の遠景

江戸幕府が海防のため築造

「台場」とは砲台を伴う防御施設のこと。嘉永6年(1853)にアメリカのペリー艦隊が来航すると、海防強化のため全国各地の沿岸部に約800〜1000カ所の台場が設置されました。こうした中、江戸幕府が江戸湾を警備すべく品川沖の海上に築造したのが品川台場(東京都港区)でした。東京湾に浮かぶ人工島・お台場の名の由来は品川台場なのです。

「品川台場計画図」を見ると当初11カ所の設置が計画されていますが、計画は頓挫し、結果的には6カ所しか完成しませんでした。当時の情勢を考えると、財政難が大きな理由と思われます。設計者は、勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)格海防掛(かいぼうがかり)の江川太郎左衛門英龍。高島秋帆に入門して洋式砲術を修得した人物で、海防に関する第一人者でした。

完成した台場は、幕府の命令により各藩が警備。第一台場は川越藩、第二台場は会津藩、第三台場は忍藩、第五台場は荘内藩、第六台場は松代藩、御殿山下砲台場は鳥取藩が担当しました。

品川台場、第三台場
第三台場

第三台場は台場公園に

現在は、第三台場と第六台場が残っています。第三台場は台場公園として整備され、無料で自由に散策できます(現在は東京オリンピック関連施設工事のため封鎖中)。

江川太郎左衛門英龍の設計図には、各台場の構造や規模が詳細に記されています。第三台場は四角形に近い五角形で、中央には柵門入口の前に一文字の堤防のような土塁を置き、休息所と呼ばれる建物を配置。正面には2カ所に火薬庫が置かれ、それぞれ脇に土塁があります。中央の区画は海面から5〜7メートルの土塁で囲まれ、4面に砲台が置かれていました。番所、井戸、雪隠などもあったようです。

第六台場は海上保全され立ち入り禁止ですが、レインボーブリッジの遊歩道(レインボープロムナード)から見下ろすことができます。設計図によれば、基本構造は第三台場と同じです。

土塁を囲む石垣も、品川台場の特徴です。江戸時代初期の城の石垣に見られる積み方も混在し、幕末〜明治時代に多い積み方も多く見られます。地盤が軟弱な品川台場の石垣構築は、石垣を支える基礎工事からかなりの技術が必要。最先端の技術を結集した、日本の技術水準を示す土木遺産ともいえるでしょう。同じく幕末に築かれた五稜郭(北海道函館市)にも見られる「はね出し石垣」も必見です。

品川台場、第六台場
第六台場の遠景

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。