2021/02/19
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第33回 横矢(よこや)を掛ける
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。33回目の今回は、石垣のラインがテーマ。お城の石垣や土塁は、なぜ途中でカクカクと折れ曲がるような形で造られているのか? その目的と、さまざまな折れ曲がりの種類について見ていきましょう。
城を堀(ほり)に沿って歩いていると、真っすぐだった石垣(いしがき)や土塁(どるい)が突然(とつぜん)直角に折れ曲がったり、外に跳(と)びだしたり、中へ凹(へこ)んでいたりする場所があります。城は、塁線(るいせん)(曲輪(くるわ)を区画するために、石垣や土塁で造(つく)られたラインのことです)を形作る石垣や土塁を折り曲げることで、防御(ぼうぎょ)を強固にしているのです。どうして、折れ曲げると防御を強固にできるのかを、今回は考えてみましょう。
横矢とは
城を攻(せ)める時は、守る兵力の倍以上の兵力で攻めるというのが戦い方の鉄則(てっそく)(必ず守らなければならない根本的なきまりのことです)でした。攻め寄(よ)せる敵(てき)兵が、殺到(さっとう)するのが虎口(こぐち)(出入口のことです)です。この虎口を突破(とっぱ)されると、城の中に敵兵が入ってくることになります。そこで、敵兵が簡単(かんたん)に中に入れないようにする工夫が、あちこちに施(ほどこ)されていました。
熊本城竹の丸から飯田丸への通路です。元札櫓御門(もとふだやぐらごもん)、竹の丸五階櫓、飯田丸三階櫓が、折れる通路を通る敵に対し「横矢」を掛けていました(赤線が、折れ曲がった通路)
その中で、最も効果的(こうかてき)な工夫が、侵攻(しんこう)してきた敵に対して、側面から攻撃(こうげき)することです。そのために、考え出されたのが石垣や土塁を配置することで、通路を曲げておき、攻め寄せて来る敵方の兵を折れ曲げてしまうことでした。折れがあることで、敵兵は一気に進むことが出来なくなり、進行が滞(とどこお)ることになります。そこを狙(ねら)って、側面から攻撃を仕掛(しか)けるわけです。
人は、正面からの攻撃は見えますが、横からの攻撃は見えません。そこで、横から弓を射(い)かけたり、鉄砲を撃(う)ったりして、確実(かくじつ)に敵をしとめるわけです。このように側面から攻撃することを「横矢を掛(か)ける」と言います。側面からの攻撃が可能(かのう)なように土塁や石垣を折り曲げたり、曲輪の隅(すみ)を張(は)り出させたりする工夫のことを「横矢掛り(よこやがかり)」といいます。塁線に折れが多用され出入りが激(はげ)しいのは、横矢を掛けるためと、石垣や土塁を崩(くず)れにくくするためです。
徳川大坂城二ノ丸南面の石垣の折れ。死角をなくし、横矢を掛けるためと石垣を適度(てきど)な間隔(かんかく)で折れを持たせ、強度をあげるためでもありました(唯一(ゆいいつ)、六番櫓が現存(げんぞん)しています)
横矢はより効果を発揮(はっき)する場所を選んで設定(せってい)されました。その中で、一番効果的な所が虎口になるわけです。虎口は、攻め寄せる敵方が最初に突破(とっぱ)しなければならない重要な攻撃目標でした。そこで、虎口の右や左側の塁線を突き出させたり、脇に重層櫓(じゅうそうやぐら)(二階建て以上になる櫓を言います)を建てたりして側面からの攻撃が出来るようにしたわけです。虎口の中でも、四方を囲い込んだ枡形(ますがた)虎口が、最も効果的に横矢を掛けることが出来る入口でした。少ない人数でも、攻め寄せる多くの敵兵を皆殺(みなごろ)しにできる工夫が「横矢」というわけです。
現在の大坂城大手口。左側が外から見た枡形門です。二重櫓が千貫櫓、その右に渡櫓門、少し屋根が見えるのが高麗門です。右側は、渡櫓門の二階から見た枡形内部です。枡形内に居(い)る人に対して、一斉射撃(いっせいしゃげき)が行われ、殲滅(せんめつ)しようとしたのです
虎口に設けた「横矢掛り」の特徴(とくちょう)がよく分かる城が大坂城(大阪府大阪市)です。大坂城の大手口は、高麗門(こうらいもん)の前が土橋(どばし)になっており、その左右は大きな空堀(からぼり)です。敵は、門を落とすためにまず堀にかかった土橋を渡ります。そこに、左側に巨大な二階建ての千貫(せんかん)櫓が横矢を掛けています。さらに、門の左右には、見えない石狭間(いしざま)が口を開けて待っていました。
何とか、門を突破しても、正面には石垣と渡(わたり)櫓(多門(たもん)櫓)がそびえます。左側を見ると巨大な櫓門が、右側は一段高いスペースの背後(はいご)に土塀(どべい)が廻っています。そこは巨石(きょせき)の石垣と塀(へい)で囲(かこ)まれた四角い空間になります。櫓門の二階や渡櫓の内部、一段(だん)高い空間から一斉に、集中攻撃を受けてしまいます。この枡形虎口は、実に17間(約31m)×28間(約50m)の広さがありました。
大坂城大手口枡形をモデルにした枡形のイラスト(作図:香川元太郎)
土橋には、千貫櫓が横矢を掛け、枡形に入れば三方から攻撃されることになります
横矢の種類
江戸軍学では、横矢の種類を塁線の折れ方、突き出した部分の程度や形から、出隅(ですみ)・入隅(いりすみ)・雁行(がんこう)・合横矢(あいよこや)・横矢桝形(よこやますがた)・横矢隅落(よこやすみおとし)・屏風折(びょうぶおり)・横矢邪(よこやひずみ)などに分類しています。
横矢の種類1。徳川大坂城の南側塁線は、図のような構造で横矢を掛けています
最も多く利用されたのが塁線の隅角部を内側に折り曲げた「入隅」と、外側に突き出させた「出隅」です。塁線が真っすぐに長く続く場合は、入隅と出隅を繰(く)り返す「雁行」や、長方形の突出部を突き出させた「横矢桝形」、反対に内側に窪(くぼ)ませた「合横矢」が用いられました。
塁線を鋸(のこぎり)の歯状(じょう)に三角形に突き出したような折れを設けたものを「屏風折」と呼んでいます。屏風折は、塁線自体を折り曲げる場合と、土塀のみを折り曲げて配置することとがありますが、塁線を折り曲げるのは大変な作業になりますので、通常(つうじょう)は土塀のみを折り曲げることで対応(たいおう)していました。
「横矢隅落」とは、塁線の出隅部を斜(なな)めに築(きずいたものを言います。斜めに対しても効果があると共に、塁線から離(はな)れた場所にも横矢を掛けることができました。塁線や城壁(へき)をゆるい凹面状にすることで、連続的な横矢を掛ける場合を「横矢邪」と言います。
横矢の種類2
様々な呼び名の横矢がありますが、いずれもいかにして側面から攻撃しようかと考えた結果です。城は、どのようにして側面から攻撃するかを考えて作られているのです。
駿府城(すんぷじょう)東御門枡形。完成域(いき)に達した枡形門です。枡形前面の高麗門手前は木橋で、ここへは巽(たつみ)櫓が横矢を掛け、枡形は多門櫓で三方を取り囲んでいました
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※塁線(るいせん)
曲輪を区画するために、石垣や土塁などの構築(こうちく)物で造った連続するラインのことです。
※虎口(こぐち)
城の出入口の総称(そうしょう)です。攻城戦(こうじょうせん)の最前線となるため、簡単に進入できないよう様々な工夫が凝(こ)らされていました。一度に多くの人数が侵入できないように、小さい出入口としたので小口(こぐち)と呼(よ)ばれたのが、変化して虎口になったと言われます。
※桝形(ますがた)
門の内側や外側に、攻め寄せてくる敵が真っすぐ進めないようにするために設けた方形(四角形)の空いた場所のことです。近世の城では、手前に高麗門、奥に櫓門が造られるようになります。
※土橋(どばし)
堀を渡る出入りのための通路として、掘り残した土手(土の堤(てい))のことです。堀で囲まれた曲輪には、最低一つは土橋がありました。木橋では運べない重い物を運んだり、相手方に切り落とされたりして孤立(こりつ)しないようにするためです。
石狭間(いしざま)
塀の下の石垣の天端石(てんばいし)の上面を削(けず)りくぼめて隙間(すきま)(小窓)を開け、鉄砲(てっぽう)が撃てるようにしたものです。
※渡櫓(わたりやぐら)
左右の石垣の上に渡(わた)して建てられた櫓のことです。または、石垣上に長く続く櫓や、櫓と天守あるいは櫓と櫓の間に建てられた接続(せつぞく)目的の櫓のことです。
※土塀(どべい)
骨(ほね)組みのあるものと、ないものとがありますが、どちらも小さな屋根を葺(ふ)き、用途に応じて狭間(さま)が切られました
出隅(ですみ)
塁線の隅角部を外側に突き出させ、横矢を掛けるようにした場所です。
入隅(いりすみ)
塁線の隅角部を内側に折り曲げて、横矢を掛けるようにした場所です。
雁行(がんこう)
長く続く塁線で、石垣や土塁を内側に折り曲げたり、外側に突き出させたりすることを繰り返して、横矢を掛けるようにすることです。
合横矢(あいよや)
塁線の途中(とちゅう)で凹(とつ)型に内側に窪ませることで、三方から横矢を掛けるようにすることです。
横矢枡形(よこやますがた)
塁線の途中で凸(とつ)型に長方形の突出部を突き出して、横矢を掛けるようにすることです。
横矢隅落(よこやすみおとし)
塁線の出隅部を斜めに築いたものを言います。斜めに対しても効果があると共に、塁線から離れた場所にも横矢を掛けることができました。
屏風折(びょうぶおり)
塁線自体を折り曲げる場合と、土塀のみを折り曲げて配置することとがありますが、通常は土塀のみを折り曲げ、そこから横矢を掛けることが出来るようにしていました。
横矢邪(よこやひずみ)
塁線や城壁をゆるい凹面状にすることで、連続的な横矢を掛けることができるようにすることです。
次回は「城内の樹木の役割」です。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。