萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第40回 篠山城 「馬出」が見どころ、天下普請で築かれた城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。40回目の今回は、天下普請によって築かれた篠山城。シンプルではあるものの高い防御性を備えた設計に注目しながら、お城の見どころを紹介していきます。

篠山城、石垣
二の丸北西隅の石垣

家康の命により天下普請で築城

篠山城(兵庫県)は慶長14年(1609)、徳川家康の命令により天下普請によって築かれました。普請総奉行は池田輝政、縄張は藤堂高虎が担当。浅野幸長、加藤嘉明、福島正則など15か国20の外様大名、延べ8万人が駆り出され、1年足らずの突貫工事で完成しました。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した家康は、豊臣秀頼のいる大坂城(大阪府)を取り囲むように、主要街道沿いの城を新築・改築し、城主を取り込む「大坂包囲網」を構築していたと考えられています。山陰道が通る篠山城も、この大坂包囲網のひとつとみられます。

篠山城、南馬出
残存する南馬出

シンプルながら無駄のない設計

本丸と二の丸を内堀で囲み、外側を三の丸、その外側を外堀で囲む、上空から見るとほぼ正方形のシンプルな構造です。しかし、本丸と二の丸は高い石垣で囲まれ、その上には多聞櫓が鉄壁のように立ちはだかっていました。また、二の丸の2つの虎口は、南側が枡形虎口、大手にあたる北側はさらに厳重な二重枡形虎口でした。天保8年(1837)の「丹波国笹山城石垣損所絵図」に描かれた三の丸を見ると、土塁で囲まれた上に屏風折れ土塀が設けられています。外堀の幅も城の規模に対して広く、効率のよい防御性を叶えた無駄のない設計といえます。

大きな特徴は、外堀の外側に設けられた3つの「馬出」です。外堀を挟み、南門の外側に南馬出、大手門の外側に大手馬出、東門の外側に東馬出が設けられていました。南馬出と東馬出がよく残り、大きな見どころです。東馬出は馬出を囲む堀も残っています。

本丸にある天守台の石垣は、城内でもっとも高く、約17メートルに及びます。天守は建てられませんでしたが、南東隅には隅櫓が建ち、天守台以外の3か所の隅櫓と多聞櫓で繋がれていました。二の丸御殿の周囲にも三重櫓1棟、二重櫓5棟が建ち、それらを繋ぐように多聞櫓と城門が置かれていたようです。二の丸御殿跡は平面表示され、大書院が復元されています。

篠山城、大書院
復元された大書院

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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