萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第39回 浜田城 日本海、松原湾、外ノ浦を見渡す浜田藩の城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。39回目の今回は、戦国期を終えた後に浜田藩の本拠地として築かれた続日本100名城の浜田城(島根県浜田市)。浜田川などの地形を活かした立地や、隣接する長州への防御を意識した造りなど、お城の特徴を見ていきましょう。

浜田城、三の丸の石垣と通路
三の丸の石垣と通路

一国一城令後に築城

浜田城は、元和5年(1619)に初代浜田藩主となった古田重治が、元和6年(1620)から築城。日本海に面し長州に隣接することから、福山城(広島県)などと同様に、長州藩の毛利氏に対する山陰側の牽制の城でもあったと考えられます。城と城下町は、元和9年(1623)には完成したようです。

城は標高67メートルの亀山に築かれ、北東側は松原湾に接し、西側から南側にかけては浜田川(大川)が流れています。左右に湊(みなと)があり便利であること、浜田川で大小の船の通行が可能であること、東にヨシ沼があることなどがこの地を選んだ理由のよう。軍事面だけではなく、湊や河川交通を重視した経済的な意図があったのでしょう。

寛文8〜貞享3年(1668〜86)に描かれた「浜田城下町絵図」を見ると、堀が埋め立てられた東側以外は城下町の骨組みはほぼそのまま。浜田川が南・西側2方向の防御線となり、東側には松浦湾のほか外ノ浦湊があり、西側にも湊がありました。地形を生かした城下町の構造も見どころです。

浜田城、二ノ門跡
二ノ門跡

出丸に特徴、石垣も見どころ

登城口である護国神社の脇にある門は、津和野藩庁のもの。門が置かれている場所に本来の門が建っていたわけではありません。門をくぐったあたりが三の丸で、二ノ門を抜けると二の丸、本丸一ノ門を抜けると本丸へと到達します。

二ノ門は、城内唯一の枡形門。かなり大きな櫓門だったようで、枡形内でまわりを見ると、高い石垣で枡形を囲っていたことがわかります。近年、門の礎石も確認されました。本丸は高い石垣で囲まれ、石垣の上には土塀がめぐっていたようです。本丸の北西隅に突出する空間には、天守に匹敵する象徴的な三重櫓が建っていました。

特徴的なのは、本丸の南側にある出丸。本丸から突き出すように設けられた独立性のある曲輪で、本丸脇千人溜りとも呼ばれます。城の西側を監視する、防御的な要素の強い曲輪なのでしょう。浜田城が西側を意識した城とわかります。古絵図には二の丸の西側に付随するような形で描かれており、北側には出丸木戸という出入り口が設けられていました。出丸木戸を出れば、本丸の石垣の外側をめぐる道がありました。

本丸、中ノ門、三の丸東側の石垣などは概ね1620〜1623年の築城時に積まれたものと推定されます。本丸の石垣は、横目地の通らない乱積みで、野面積。隅角部には縦石が用いられています。出丸西面の石垣は、嘉永3年(1850)の修理時のものとみられます。

浜田城、外ノ浦
本丸から見る、北前船寄港地の外ノ浦

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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