萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第38回 黒井城 光秀を苦しめた「丹波の赤鬼」の城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。38回目の今回は、荻野(赤井)直正が明智光秀を返り討ちにした戦いの舞台として有名な黒井城(兵庫県丹波市)。堅固な石垣で囲まれた山城の見どころに注目しましょう。

黒井城、三の丸櫓台、石垣
三の丸櫓台の石垣

丹波屈指の広大な山城

「丹波の赤鬼」と恐れられた丹波の有力国人・荻野(赤井)直正の居城、黒井城。織田信長と敵対し、明智光秀に攻められた城として知られます。天正3年(1575)、光秀は丹波へ攻め入り黒井城を包囲しましたが、天正4年(1576)正月、信長方から離反した波多野秀治に挟撃され撤退。天正5年(1577)に丹波侵攻を再開すると、天正7年(1579)6月に波多野秀治の八上(やかみ)城(兵庫県丹波篠山市)を攻め落とし、これを受けて8月に黒井城も開城しました。

黒井城は、標高356.8mの城山を中心に、尾根という尾根に曲輪を配置した巨大な山城です。半径1.2km圏内に城域が広がります。見学スポットになっている城山山頂の曲輪群が、黒井城の中心部。北西端の最高所を本丸として、南東方向に二の丸、三の丸、東曲輪が階段状に並びます。本丸の西側には西曲輪があり、これらを取り巻くように南側と北側に帯曲輪がめぐっています。

黒井城、二の丸
二の丸から見下ろす、南東方向

山上に残る石垣が最大の見どころ

曲輪のまわりに積まれた石垣は、荒々しい野面積み。算木積みが未発達で、古い時期の構築を思わせます。積み方の特徴から、荻野氏時代ではなく光秀時代の改修と思われます(重臣の斎藤利三、本能寺の変後は一時的に堀尾吉晴)。虎口にも織田・豊臣系の城の特徴が感じられ、改変がうかがえます。

二の丸と本丸は堀切で分断され、二の丸から本丸へは堀切の南西側に張り出す小曲輪を経由したようです。小曲輪を固める石垣はひときわ高く、石垣の隅角部の算木積みの様相からも、やはり光秀時代の改修とみられます。改修は中心部の曲輪群に限られるようです。

石垣が城下町のある南側に積まれているのが興味深いところ。二の丸と三の丸の南端には櫓台とみられる石垣が残り、本丸と二の丸の一部からは瓦が出土し瓦葺き建物の存在が推察できます。虎口付近を強化し、見栄えのよい立派な虎口空間をつくり出すのも、織田・豊臣系の城の特徴です。

黒井城、東出丸
太鼓の段から斜面の通路を経て至る、東出丸

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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