2021/07/16
城と光秀|小和田哲男 第2回 土岐氏の本城・大桑城と光秀
本能寺の変で織田信長を討った武将として知られる明智光秀。2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公としてその人生が描かれました。『麒麟がくる』の時代考証を担当される小和田哲男先生による連載「城と光秀」の第2回目。大桑城と大桑城のある山県市(岐阜県)に伝わる、光秀にまつわる伝承などを紹介します。(※2019年2月27日初回公開)
守護所の移転と大桑城
美濃国の守護は土岐(とき)氏で、すでに建武3年(1336)以前から土岐頼貞が守護となっていて、頼遠―頼康―康行―頼世―頼益―持益―成頼―政房と続き、政房の子頼武と弟頼芸(よりのり)が争い、その間隙を衝いて斎藤道三の台頭を招く結果となったことはよく知られている。
さて、その守護所であるが、土岐氏は度々移転しているのである。ふつう、守護所は、たとえば周防大内氏の山口とか、駿河今川氏の駿府とか、一ヵ所で何代にもわたって使われている。
ところが土岐氏の場合、政房のとき、永正6年(1509)頃に、それまでの革手(かわて)から福光に移り、頼武のとき、天文元年(1532)には福光から枝広に移り、さらに同4年(1535)には大桑(おおが)に移っているのである。革手は木曾川のすぐ近くで、福光も枝広も長良川のすぐ近くで、洪水によって守護館が流されたからといわれている。
大桑は、現在の岐阜県山県市高富町市洞(いちぼら)で、岐阜市の中心部から北へ15キロほど入ったところに位置し、城は古城山とよばれる標高407メートルの山頂一帯に曲輪が分布しており、比高約300メートルの典型的な山城である。

大桑城 主郭
主郭とされている場所は山頂部分であるが、主郭といわれる割には狭く、本格的な建物が建てられていた可能性は低い。それに代わって南側斜面に注目される遺構がある。谷筋中央に通路がつくられ、その両側に20ヵ所ほどの小規模な曲輪が階段状に並んでおり、しかもそこからは15世紀末から16世紀前半に位置づけられる国産陶器や貿易陶磁器が発見されているのである。これは明らかに屋敷群で、南近江守護六角氏の守護所であり居城の観音寺城とそっくりである。土岐氏と六角氏のつながりを感じさせる。
また、大桑城の城下町は、そのつくり方が越前の朝倉氏の一乗谷とそっくりなのである。朝倉氏が土岐氏のために四ヵ国の人足を動員して掘らせたという「四国堀」や、その名もずばり、「越前堀」という名の堀もあったという。どうやら土岐氏は、六角氏および朝倉氏の援助で城と城下町をつくっていたらしい。

大桑城 四国堀
斎藤道三の大桑城攻め
この大桑城では守護土岐氏と、守護代斎藤氏の名跡を継いだ斎藤道三との間で何度か激しい戦いがくりひろげられている。天文11年(1542)の戦いは特に激しく、道三軍によって土岐頼武・頼純父子は城を逐われ、越前朝倉氏を頼って落ちている。城下には戦いの激しさを物語る「六万墓」や「千人塚」がある。
そのあと、一時、道三に擁立された土岐頼芸が大桑城の城主となっていたが、同21年(1552)、その頼芸も道三に追放され、道三は、大桑の城下町を自身の居城である稲葉山城下に移転させている。これが現在岐阜市の上(かみ)大久和(おおくわ)町・中大桑町・下大桑町である。
この道三による大桑城攻めの戦いに明智光秀が従軍していたかどうかはわからない。光秀の生年を通説通り享禄元年(1528)とすれば、天文11年の戦いのときは15歳なので微妙であるが、同21年の戦いには参戦していた可能性はある。光秀の叔母が道三の正室になっていたといわれているので、光秀自身も若いころから道三の近習のような形で側近くに仕えていたと思われる。
ところで、大桑城のある山県市には光秀にまつわる伝承がいくつかある。一つは、光秀は山県市の中洞で生まれたという話である。中洞の中洞源左衛門の娘と土岐基頼との間に生まれたのが光秀で、基頼が病死したあと、可児(かに)の明智光継に預けられ、やがて養子として迎えられたというのである。中洞の白山神社境内に産湯の井戸というものもある。

大桑城 桔梗塚
なお、その白山神社に隣接する林の中に桔梗(ききょう)塚とよばれる墓所があり、光秀の墓だという。地元の伝承では、光秀は山崎の戦いでは死なず、この地に逃げてきて名を荒深小五郎と改名していたが、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いのとき、東軍徳川家康方に味方しようと村を出たが、途中、増水した川に乗っていた馬もろとも流されて亡くなってしまったという。
こうした伝承がどうして大桑城の近くで語り伝えられるようになったかは興味深いものがある。

執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会 理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』(洋泉社、2016)ほか多数









