お城を楽しく研究する「城ラボ by 城びと」 江戸城の石垣残る日比谷公園で刻印カウントバトル選手権!さぁ私たちと勝負だ

東京都千代田区にある日比谷公園といえば、都会にありながら東京ドーム4個分の広さを誇る緑豊かな公園です。園内には図書館や音楽堂、公会堂や老舗レストランなどがあり、多くの人が訪れています。実はこの日比谷公園に江戸城の石垣があることを御存じですか? 言われてみれば無視できないほど堂々とあるのですが、意識しないと風景の一部ですよね。今回の城ラボby城びと、この日比谷公園の石垣で刻印カウントバトルやっちゃいます! 新たな日比谷公園の楽しみ方として流行るかも!

石垣の刻印カウントバトル会場は「日比谷公園」

城ラボ

どうも、城ラボ by 城びと主任研究員のいなもとです! 今回、研究員たちがやってきたのは、日比谷公園。ここには幕末まで、萩藩・毛利家や佐賀藩・鍋島家などの武家屋敷がありました。公園の北東に残る石垣は、日比谷御門の跡とそれに隣接した石垣です。門があった場所は、現在、大通りの交差点になってしまいましたが、石垣の一部が残っています。

そんな江戸城の香りが漂う日比谷公園で開催されし第2回石垣カウントバトル! 今回数えるのは「刻印」です(じゃじゃーん)。前回、城ラボ by 城びとが訪れた石垣山城(神奈川県小田原市)で開催された石垣バトルでは、制限時間内にいかに正確に一面の石の数を数えられるかを競いました。こちらも白熱した戦いとなったので、併せてご覧ください。


刻印カウントバトルのルールは!?

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それではルールを説明しよう!(言ってみたかったフレーズ)

・対象範囲は「心字池」横の石垣一体。
・天端石(てんばいし:石垣最上部の石のこと)や、裏側の崩れた石垣の隙間、転がった石全ての面、江戸時代にはなかったが後の時代にココに持ってきて積んだ石もぜーんぶ対象。
・制限時間30分以内に刻印を探し当て写真を撮る。
・一番多くカウントできた人が優勝!!

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周囲をぐるっと回って隙間なく探すべし! あ〜絶対負けたくない!

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実は、城ラボ by 城びとは2人の主任研究員の他に4人の研究員がおりまして。今回は主任研究員2人に加えて研究員3人が参戦、計5名が刻印カウントバトルをします。では、よ〜いスタート(ピピーッ)!

久保井主任研究員(以下、久保井)「池の向こうの石垣はスマホの望遠を使っても見えないな…(困)」

城ラボ研究員「私はミラーレスカメラで挑戦していますが、それでも望遠レンズがないとよく見えない(困)」

城ラボ研究員「もしかしたら、このバトル、激ムズなのでは?」

そんな中、鳴り響くシャッター音が!

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カシャカシャカシャ…

みんな「ちょっと、ズルーい!!!! 望遠レンズは卑怯だよ〜」

いなもと主任研究員(以下、いなもと)「ふははははー、ごめん遊ばせ、よく見えるわ〜。私が法律で、使う道具に制限はないの。みなさんも、望遠鏡持ってくればよかったですね!」

久保井「もう〜、余計負けたくなくなってきた〜!!」

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と、このようにスタート地点では賑やかに刻印を探していた一行も、次第に散り散りとなり自分のペースで探すように。前回の石垣山城での石垣バトルでも性格がでるな〜と思ったのですが、今回も同様でした! 一緒に石垣を探せば相手の性格がわかる…なんてね。もし、知りたい相手がいたら誘ってみてくださいね。

それにしても、なかなか見つからない。スマホのズームは、肉眼よりはよく見えるけれど…正直、池向こうの石垣は刻印なのか傷なのか、見分けがつかないほどの画質(涙)くぅ〜、難しい〜! と、研究員たちは嘆いていました。

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研究成果発表〜!!

さて、30分が経ちました。研究員それぞれの成果を報告してもらいましょう。まずは、久保井研究員〜。

<久保井研究員の成果>

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久保井「はい! 私が見つけたのは全部で8つでした。池の向こうの石垣はやっぱり見つけにくかった! 「⚪️に八」の刻印が多かったね。あと、夏場はやっぱり植物が元気(笑)きっと、見えないだけでもっとたくさんの刻印が隠れているのかな。そういえば、天端石に刻印があるな〜と思っていたら、いなもと研究員に話しかけられて撮るの忘れちゃったんだよね(笑)あれは、やられたな〜! 」

いなもと「あ、バレていたか(笑)作戦成功〜!」

調べたところ「⚪️に八」の刻印は尾張徳川家。略章がモチーフになっているそうです。ちなみに、丸八印は名古屋市の市章にもなっているため、名古屋の人にとってはお馴染みの符号なのかもしれませんね。ちなみに、大阪城では「⚪️に八」の刻印を因幡鳥取藩・池田光政が使用しており、尾張徳川藩と断言することはできなさそうです。はい、次の研究員報告お願いします〜!

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いなもと研究員が後日撮影したもの。尾張徳川家の「⚪️に尾」があった

<研究員Sの成果>

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研究員S「私も全部で8つでした。実は、“大きい石”にあたりをつけて刻印を探してみたけれど、“大きい石”を探すのに時間かかっちゃってまだ石垣のおもて面が見られていないんです…キィーーー、悔しい!!(いなもと注:こちらの研究員は前回も時間いっぱいまで石をカウントしていました)あ、でも、松江城推しのわたしにとっては嬉しい「分銅紋」を発見! 堀尾家が使っている刻印で、松江城の石垣にも見られます。」

遠く離れた江戸城でも堀尾氏の刻印を見られるなんて嬉しいですよね! でも、なぜ徳川家の居城・江戸城で尾張徳川家や堀尾家の刻印が見られるのでしょうか? 答えは「天下普請(てんかふしん)」で築かれた城だから。

江戸城は慶長11年(1606)に築城を開始してから(海岸の埋立て工事を始めた慶長8年が開始という説も)約30年の歳月をかけ工事が行われました。しかも、日本各地の大名家が動員された大がかりな築城工事だったのです! 石材は、伊豆半島や瀬戸内海から運んできました。その採石中・運搬中・石を積む段階で自分たちの藩の印を刻んだのです。


さて、次の報告をお願いします!

<研究員Mの成果>

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研究員M「私は、まさかの3つでした〜(泣)。もっと撮れていると思ったのに。池を挟んで見る石垣のおもて面は刻印だかなんだかわからず難しかったです。でも、天端石はバッチリ撮れました! 「◎」を2ヶ所で見つけたのですが、どこの藩の刻印なのでしょうね?」

これも調べてみました! 大坂城の例となりますが、「蛇の目紋」といって肥後熊本藩・加藤家が使っていた刻印だと思われます。江戸城でも加藤家が使っていたとは断言できませんが…。それにしても、見る限りではここの石垣にたくさんの藩の刻印が入り交じっていますね。

<研究員Iの成果>

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右下の刻印に「これって1つの刻印? それとも2つ?」

研究員I「はい、私は6つでした。見つけたのもみなさんと同じ刻印です。そういえば、刻印ってなにをもって1とカウントするのが難しいですよね? 2つの刻印がくっついているのかもしれないし。どうやってカウントしていますか?」

むむむ、深い…。真意をついている。例えば右下の刻印も、「十字(クルス)」と「△に二」がくっついているのか、元から一つの刻印なのか判断つかないです。これは、刻印サンプルをできるだけ多く集めるしか答えを知る手段はないでしょう。ということで、城ラボ by 城びとでは、お城へ取材に行くたびに刻印を探し続けることを誓います! 

<いなもと研究員の成果>

さぁ、真打ち・いなもとの成果を見てもらいましょうか。じゃじゃーん(2回目)

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いなもと「わっはは〜、33でした。これは私の優勝でいいですかね(ニヤリ)。でも、分銅紋が見つけられなかった。く〜や〜し〜い〜! ここにある石垣は、築かれた当初からあったものや、江戸時代のどこかで修繕された時のもの。それと、明治時代以降に江戸城内の他の場所にあった石が運ばれてきたという話を聞いたことがあるよ。たくさんの刻印を全世界に発信できて報われました(笑)」

そして、いなもとは思ったのです。石のふるさとまで行って同じ刻印を探したい! 刻印神経衰弱ゲームをしたいと。いつか、城ラボ by 城びとで神経衰弱バトルやりましょう!

刻印カウントバトルでわかったこと

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日比谷御門から南に伸びる石垣(日比谷公園内に残る石垣)は寛永4年(1627)に浅野長晟によって築かれ(※1)、寛永6年(1629)には伊達政宗によって枡形部分が改修されたそうです(※2)。寛永6年の普請では、①石材を切り出し伊豆へ運搬する「寄方(よせかた)」と、②石垣を築く「築方(つきかた)」に分担されていました。それぞれの内訳はこちら!
 ①寄方…尾張藩、紀伊藩、三河以西の譜代大名38家
 ②築方…東国70家

石に尾張徳川家の刻印が見られたのは、石材を切って運んだからだったのですね。史料と現物が繋がった〜! まさに興奮の瞬間でした。


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刻印ってミステリアスな部分もあって面白いけど、昔の人が確かに存在した証でもありますよね。昔の人が残したものは、展示室のケースの中で大事に守られているってイメージですが、石垣や刻印は触れられるお宝。これから先も、大切に守っていきたいなと感じました。まずは、「刻印が何なのか」をたくさんの人に知ってもらえたらうれしいです! 

歴史が詳しくない人も、はじめてお城に行くよーって人でも気軽に始められるので、刻印カウントゲームやってみてくださいね。私たちの成果報告、お読みいただきありがとうございました!

【参考文献】
※1 野中和夫 編「石垣が語る江戸城」(株式会社同成社、2007)
※2 千代田区立四番町歴史民俗資料館『平成17年度特別展 江戸城の堀と石垣-発掘された江戸城-』(千代田区立四番町歴史民俗資料館、2005)

執筆/いなもと かおり、写真/いなもと かおり・城びと編集部
城ラボお城マニア観光ライター年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は700ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。