理文先生のお城がっこう 城歩き編 第60回 櫓② 櫓の名称その1

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回は前回に続き、城を守るための施設として門の側などに建てられた櫓がテーマです。櫓には種類によって様々な名前がありますが、それらはどのように付けられたのでしょうか? 各地のお城を例に見ていきましょう。

前回は、櫓(やぐら)の起源(きげん)と種類について見てきました。櫓には、様々な種類があって、一番ポピュラーな櫓が、隅櫓(すみやぐら)で二重櫓だと言うことが解(わか)っていただけましたか。また、長屋のように長い多門(たもん)の特徴(とくちょう)にも触(ふ)れました。櫓は、倉庫にも居住(きょじゅう)施設(しせつ)にもなる便利な建物だったのです。今回は、櫓の名前の付け方について考えたいと思います。

方位を上に付けた櫓

櫓の名前には、様々な種類があります。その中で、皆(みな)さんが聞いたことが多いのは、東・西・南・北を上に付けた櫓ではないでしょうか。例えば、「北櫓」とか「北隅櫓」と呼(よ)ばれる例です。同じ名前になる櫓が複数(ふくすう)ある時は、「本丸北櫓」とか「二の丸北櫓」というように曲輪(くるわ)の名前を櫓の前に付けることで区別しています。

櫓、上田城
上田城(長野県上田市)南櫓(左)、東虎口(こぐち)櫓門(復元)、北櫓(右)。両櫓共に、明治時代に市内に払(はら)い下げられましたが、昭和18年(1943)から同24年(1949)にかけて、本丸東虎口の現在地(げんざいち)に再移築(さいいちく)されました。門の北と南に位置するため、方位を付けて呼ばれています

最も多い隅櫓の場合は、八方位(東西南北と、その間の4つの方位です)となるケースが多く、「東南隅櫓」とかのように呼んでいます。この時の方位の付け方ですが、地理学では、南北を先に言うのが普通(ふつう)ですので「南東隅櫓」となるわけですが、櫓の場合は東西を先にするのが通例です。従(したが)って、「東南隅櫓」と呼んでいます。

櫓、駿府城
駿府(すんぷ)城(静岡県静岡市)二ノ丸坤(ひつじさる)櫓。「駿府御城惣指図(そうさしず)」(寛永9年(1632)~宝永4年(1707)、個人蔵)のほか「駿府御城内外覚書(おぼえがき)」3冊などを参考に、平成26年(2014)に復元されました。外観は2重ですが、内部は3階になっています。二ノ丸南西の方角に位置し、築城(ちくじょう)当時には方位は千支(えと)が用いられていたため、坤櫓と呼ばれています

文明開化と言われた明治以前は、方位も時刻(じこく)十二支(じゅうにし)(子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の総称(そうしょう)です)で表していました。当然、城の櫓も十二支で呼ばれていたわけです。東北は「丑寅(うしとら)」と言い、一文字では「艮」と表記していました。以下、東南は「辰巳(たつみ)・巽」、西南は「未申(ひつじさる)・坤」、西北は「戌亥(いぬい)・乾」となってその下に櫓が付くことになります。東北隅櫓は、「家相(方角と家の間取りを組み合わせて運気をはかる考え方です)」で鬼門(きもん)の方向とされていますので、「鬼門櫓」と呼ばれたりすることもありました。これらの櫓も、本丸や二の丸に存在(そんざい)する例があるわけですから、「本丸巽櫓」とか「二の丸坤櫓」とか呼ばれていたと思われます。

櫓、日出城
日出城(大分県日出町)鬼門櫓。本丸北東隅に位置していた櫓で、鬼門(北東)の方角の隅を切欠いているのが大きな特徴です。明治期に市内の中村家に払い下げられましたが、平成21年(2009)中村家より譲(ゆず)り受け、同25年に現在地に移築が完成しました。

櫓の数が多かった姫路(ひめじ)(兵庫県姫路市)や大坂城(大阪府大阪市)では、機械的に櫓の名称(めいしょう)が付けられています。大坂城の二の丸南側には「一番櫓」から「七番櫓」まで、7基(き)の隅櫓が建てられていました。名称は、一番、二番、三番…ということになります。現存しているのは、一番櫓と七番櫓のみで、共に重要文化財(ざい)に指定されています。姫路城では、イロハの順番に名前が付けられています。「いの櫓」、「イの渡櫓(わたりやぐら)」などです。これ以外に、「帯(おび)の櫓」とかの名称も見られ、櫓・渡櫓は27棟(むね)が国宝・重要文化財に指定されています。

櫓、大坂城
大坂城(大阪府大阪市)一番櫓(重要文化財)。二の丸南側の石垣(いしがき)上には、二重二階の同規模(きぼ)の隅櫓が、東から西へ一番から七番まで建っていました。この櫓は、最も東に位置することから「一番櫓」と呼ばれています。天保3年(1832)に大規模な解体修理が実施されています

保管されている物資の名前を付けた櫓

櫓の用途(ようと)ではなくて、普段(ふだん)櫓の中に納(おさ)めている物資(ぶっし)の名前を付けた櫓も多く見られます。保管(ほかん)されていた物資は、主に武器(ぶき)や武具、万が一のための食糧(しょくりょう)、御殿(ごてん)などで使用する調度品(ちょうどひん)などがあります。武器・武具類には、鉄砲(てっぽう)・弓・弓矢・大筒(おおづつ)(大砲(たぃほう))・槍(やり)・玉(弾丸(だんがん))・具足(鎧兜(よろいかぶと))・馬具・旗指物(はたさしもの)などいろいろな種類のものが存在していました。こうした物の中で、鉄砲や弓が保管されていた櫓を「鉄砲櫓」「弓櫓」と呼び、槍を保管する「長柄(ながえ)櫓」、具足を保管した「具足櫓」、馬具を保管していれば「馬具櫓」と呼んでいました。もちろん鉄砲や大筒の玉を保管する「玉櫓」とか旗指物を保管していた「旗櫓」もありました。

櫓、熊本城
熊本城(熊本県熊本市)馬具櫓。南側の登城口を固める平櫓で、昭和41年(1966)にRC造(づく)りで外観復元(ふくげん)され、平成26年(2014)に再度木造復元されましたが、熊本地震で罹災(りさい)しました

「兵糧(ひょうろう)」では、塩・(ほしいい)(千飯)(米を一度煮(に)たり蒸(む)したりしたうえで、天日(てんび)に干(ほ)した飯のことです)荒和布(あらめ)(荒布)(コンブ科に属(ぞく)す海藻(かいそう)で、ワカメより肉厚(にくあつ)なのが特徴です)が一般的(いっぱんてき)でした。糒は、非常食で炊(た)かなくても食べられるという利点があったため、多くの城で備蓄(びちく)されていました。荒和布は、野菜の代用として利用されました。

糒を備蓄していた櫓を「糒(千飯)櫓」、荒和布(荒布)なら「荒和布(荒布)櫓」、味噌(みそ)を保管していた「味噌櫓」もあったようです。また、もち米を水に浸(ひた)し、吸水した後で水を切り、蒸して、蒸し上がった物を天日にさらして乾燥(かんそう)させて、干し飯として保存(ほぞん)した道明寺(どうみょうじこ)を保管した「道明寺櫓」も散見されます。塩や米は、櫓に備蓄されれば「塩櫓」・「米櫓」、櫓では収(おさ)まらない量を保存する場合は、蔵(くら)が一般的で「塩蔵」・「米蔵」になります。当然、最も備蓄されていた兵糧米は、1棟だけでは入りきらず、複数建てられていました。

櫓、会津若松城
会津若松(あいづわかまつ)城(福島県会津若松市)千飯櫓。干飯櫓は若松城内にあった11基の二重櫓の中で最大規模を誇(ほこ)る櫓です。会津藩(はん)の資料「家世実紀」では「糒櫓」とも書かれており、糒(干飯)などの食糧の貯蔵庫として使われていました。南走長屋と共に平成12年(2000)に竣工(しゅんこう)しました

その他、物品類を収めた櫓としては、「書物櫓」・「御帳(おちょう)(奉行所(ぶぎょうしょ)が記録した帳面や台帳のことです)櫓」、「紙櫓」や「油(食用の油ではなく、灯明用の油です)櫓」などの役所や台所で使う物品を収めた櫓があります。また、大名たちの衣服や器物、家具などを収めた「大納戸(なんど)櫓」・「小納戸櫓」と呼ばれる櫓も存在していました。

役所が所管する物品類を保管する櫓があり、その櫓には役所や役職(やくしょく)の名前が付けられていました。茶の湯・華道(かどう)を担当(たんとう)する役所の物品を入れていた櫓が「数寄方(すきかた)櫓」、鉄砲方が管理していたため「鉄砲方預(てっぽうかたあずかり)」、また個人が預かっていたためか「長岡図書預(ながおかずしょあずかり)櫓」・「有吉織部(ありよしおりべあずかり櫓」などと管理方の名前が付いた櫓も見られます。

櫓、津山城
津山城(岡山県津山市)二の丸道明寺櫓跡と荒和布櫓跡(左)と紙櫓跡(右)。津山城の櫓の多くは、ほとんどが普段櫓の中に納めている物資の名前を付けていました

櫓、熊本城
熊本城監物(けんもつ)櫓。正式名称は「長岡図書預櫓」になりますが、明治期に長岡監物櫓と誤用(ごよう)されたまま今日に至(いた)っています。安政6年(1859)の棟札(むなふだ)が確認(かくにん)されています

今日ならったお城の用語(※は再掲)

隅櫓(すみやぐら)
城の曲輪の隅角に建てられた櫓のことです。通常(つうじょう)は二重櫓になるのが普通でした。

※多門櫓(たもんやぐら)
石垣の上などに建物が長く続く、長屋形式の櫓のことです。「多聞櫓」とも書かれます。これは、松永久秀(まつながひさひで)の多聞山城で初めてこの櫓を建てたとか、戦いの神である多聞天(毘沙門(びしゃもん)天)を内部に祀(まつ)っていたためだとか言われます。

次回は「櫓③ 櫓の名称その2」です

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加藤理文(かとうまさふみ)先生
加藤理文先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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