理文先生のお城がっこう 城歩き編 第12回 普請とはなんだろう

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」城歩き編。今回は、城を造る時の用語、普請(ふしん)とは何かについて解説します。



■理文先生のお城がっこう
前回「城歩き編 第11回 曲輪の役割を考えよう」はこちら

普請と作事

(しろ)を造(つく)る時に使う用語に「普請(ふしん)」と「作事(さくじ)」がありますが、これは二つそろって一組みとなる用語です。

城を造るために選ばれた予定の場所に、決められた設計図通りに曲輪(くるわ)を造ったり、(ほり)を掘(ほ)ったりする土木工事全般(ぜんぱん)を行うことを「普請」と呼んでいます。

土木工事には、土塁(どるい)を造ったり、石垣(いしがき)を造ったりすることなども含(ふく)まれます。これに対し、天守(てんしゅ)や櫓(やぐら)・城門(じょうもん)や塀などを建(た)てる建築(けんちく)工事(大工仕事)が「作事」です。

実際に城を築く場合、平地に築く「平城(ひらじろ)」と、丘の上などに築く「平山城(ひらやまじろ)」、山の上に築く「山城(やまじろ)」では、築城にあたって手を入れて工事をする範囲や、必要な土量が大きく違ってきます。山城は自然の地形を上手く使って城を造ったため、工事による土木量は少なく、平山城、平城と低い場所になればなるほど、土木量は高くなります。「城」という漢字のいちばん初めの成り立ち(なりたち)は、土より成(な)る物です。土を盛ったものが、当初の城でした。敵から身を守るために、土を掘り、その土を盛り上げる工事が、普請ということになります。

山城・平山城・平城の普請

山城を造るためには、斜面(しゃめん)を削(けず)りその土を盛って平坦部(へいたんぶ)曲輪)を造りだすことが基本(きほん)で、崩(くず)れないように蛸胴突(たこどうつき)(円筒形の木材に2本ないし3本の柄をつけ、数人がその柄を持ってつき固める道具)などで突(つ)き固(かた)めることが、もっとも大切な工事になります。

山のベースとなっている基盤(きばん)は、高くなったり低くなったりしていますので、そこを平らにして曲輪を造っていかなくてはなりませんでした。切岸(きりぎし)にするために削った出た土や、空堀を掘って出た土を利用するわけです。

すべてが曲輪を造り出すためではなく、土塁を盛ったりする土も必要になります。通常は、堀を掘った土を、城内側に積み上げて土塁(どるい)に利用するのです。この方法が、もっとも無駄(むだ)のない工事だったからです。基本は、出た土を、外に運び出すことなくすべて城内(じょうない)で処理(しょり)することでした。

当然(とうぜん)、遠くから土を運び込むこともありませんでした。自然の地形を利用して、攻(せ)めにくいような城を造っていくので、土木工事は平山城や平城に比べれば、少なく済(す)みます。

備中松山城
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)(岡山県高梁市)(おかやまけんたかはしし)を望む
写真右から「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の4つの峰(みね)からなり、城下(じょうか)から見た山容(さんよう)が草の上に付した老牛(ろうぎゅう)の姿(すがた)に似(に)ているため「臥牛山」(がぎゅうざん)と呼ばれています。備中松山城は、標高(ひょうこう)約480mの小松山を中心に築(きず)かれました

平山城は、山城と異(こと)なり、土木工事で切り盛(も)りする土の量が圧倒的(あっとうてき)に増(ふ)えます。そこで、事前(じぜん)切土(きりど)(傾斜のある土地を平らかにするために、地面を削りとって地盤面を低くすること)する箇所(かしょ)盛土(もりど)(傾斜のある土地を平らかにするために、土を盛って地盤面を高くすること)する箇所を決めておき、高い部分から順番(じゅんばん)に、斜面(しゃめん)を崩し、平らにして曲輪を造っていくことになります。

斜面の勾配(こうばい)(曲輪面に対する傾きの具合)を一定(いってい)にするためには、版築(はんちく)(パネル板)を貼(は)り、内部に土の質(しつ)の異なった土砂(どしゃ)を入れ、蛸胴突などを使用(しよう)し上から突(つ)き固める作業(さぎょう)を繰(く)り返す「版築(はんちく)」工法(こうほう)が一番使われました。

近世(きんせい)になって、石垣(いしがき)が普及(ふきゅう)すると、版築板ではなく、そこが石垣に替(か)わることになります。中腹(ちゅうふく)に造られた腰(こし)曲輪や帯(おび)曲輪などは、面積(めんせき)が狭(せま)いため、斜面の土砂を削って平らにする工事が一般(いっぱん)的でした。出て来た土は、曲輪を広げたり、土塁に盛ったりして処理したのです。

基本的には山城と同じで、土は城内で処理することになりますが、山麓(さんろく)に近い平坦面の造成に当たっては、他所(たしょ)から運び込んだり、城外(じょうがい)へ運び出したりすることになります。山城の造成(ぞうせい)に比(くら)べ、土を動かす量(りょう)は、非常に多くなるわけです。

丸亀城
北から望んだ丸亀城(まるがめじょう)(香川県丸亀市)(かがわけんまるがめし)中心部
標高約66mの亀山(かめやま)を利用し、山麓から山頂(さんちょう)まで4段の石垣を築き上げ、総高約60mの石垣が残る平山城です。単体(たんたい)で城内一の高さを誇る石垣は、三の丸の石垣の約22mです

平城は、基本的には平山城の造成と同じで、切土と盛土部を決め、地均し(じならし)(地面の高低やでこぼこをなくし、平らにすること)することが大切な工事でした。堀にする部分は、事前に掘り下げ、そこから出て来たいらなくなった排土は、曲輪を造成するために使用されました。

山城や平山城と違って、平らな場所での工事ですので、水が湧(わ)き出てくることもあります。水をどう処理して、曲輪を造っていくかが、大きな問題(もんだい)の一つになります。

掘った土だけではどうしても曲輪を造成(ぞうせい)するには足りません。また、平地の土だと粘質で水分を含んでいるため、造成に不向(ふむ)きなことも多かったと言います。そこで、近隣(きんりん)の小山を崩して運び込んで、造成用の土としたのです。

広島城、水堀
広大(こうだい)な水堀(みずぼり)に囲まれた広島城(ひろしまじょう)(広島県広島市)(ひろしまけんひろしまし)
太田川(おおたがわ)の河口(かこう)デルタ地帯を利用して築かれた平城で、三重の水堀で囲まれていました。軟弱地盤(なんじゃくじばん)であったため、完成まで10年の歳月(さいげつ)を費(つい)やしています

土工事は、どんな大きさの城をどこに築かで、大きく異なることになります。土工事に要する期間も、当然違ってきます。普通は、山城は短く、平らになればなるほど大工事になりました。

湿地帯(しっちたい)に築かれた平山城や平城になると、完成するまで数か年が必要となることもありました。それだけ難(むずか)しい工事だったことになります。現代(げんだい)のように、大型機械(きかい)が存在(そんざい)しないため、すべての工事は人手によって実施(じっし)されました。

土塁造り
堀を掘って出て来た土を版築工法で突き固めて土塁を造り上げようとしている図です。版築板で角度を決めて、蛸胴突を使って叩(たた)き締(し)めます。(イラスト:香川元太郎)


今日ならったお城の用語

普請(ふしん)
設計図通りに曲輪を造ったり、堀を掘ったりする土木工事全般を行うことです。土木工事には、土塁を造ったり、石垣を造ったりすることなども含まれます。

作事(さくじ)
天守や櫓・城門や塀などを建てる建築工事(大工仕事)のことです。

堀(ほり)
城を守るために、曲輪の周りや前面の土を掘って造られた、外側と連絡できないように断ち切った部分のことです。水を溜(た)めた水堀と、水の無(ない)い空堀(からぼり)に大きく分けられます。

版築(はんちく)
土砂などを用い強く突き固めて、地盤や土塁、土壁などを、徐々(じょじょ)に高く構築(こうちく)する工法のことを言います。斜面の形を成形(せいけい)するときには版築版を用いました。

切岸(きりぎし)再掲
曲輪の斜面のもともとの自然の傾斜を、人工的に加工して登れないようにした斜面のことです。

土塁(どるい)再掲
土を盛って造った土手のことで、土居(どい)とも言います。多くは、堀を掘った残土(ざんど)を盛って造られました。



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加藤理文(かとうまさふみ)先生
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公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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