理文先生のお城がっこう 城歩き編 第13回 虎口(こぐち)の役割と種類を考えよう

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」城歩き編。今回は、城の出入口である「虎口」について解説します。なぜ虎口と呼ばれたのか、その役割は何だったのでしょうか。また様々な虎口も見てみましょう。



■理文先生のお城がっこう
前回「城歩き編 第12回 普請とはなんだろう」はこちら

虎口(こぐち)とは、城(しろ)の出入口のことです。人が出入りをするために、塁線(るいせん)(土などを積み重ねてつくった連続する構築物(こうちくぶつ)のことです)を切って開けることになります。するとそこだけ塁線が途切(とぎ)れ、弱点となってしまいます。当然、城を攻(せ)める時に、最初に敵味方が争う場所となりますので、敵の攻撃(こうげき)を防ぎ、城内の兵たちを守るために、最も強い施設(しせつ)にしなければなりませんでした。そのため、より敵方が中へ入りにくい構造とし、城を守る側が、より守りやすいような工夫を凝らしたのです。そうした工夫によって、虎口は、いろいろな形を持つようになりました。

なぜ「虎口」と呼(よ)ばれたのでしょう

城の出入口で、最も工夫を凝(こ)らしたのが、一度に多くの人数を中に入れないようにすることでした。一番簡単な方法は、出入口の開いている場所を狭(せま)くして、複数の兵士が通れないようにすることです。入り口を小さくするので「小口(こぐち)」と書かれるようになりました。城を攻めようとする時は、当然入口に多くの敵が一度に押し寄せるため、最も戦いが激しくなり生死の危険を伴(ともな)う場所となります。そこで、戦いの場や陣地(じんち)における危険な場所を意味する「虎口(ここう)」と一つのものになって、出入口を「虎口」と呼ぶようになったと考えられています。

敵兵が最初に押し寄せる虎口は、城を守る上で、最も大切な場所でした。そこで、この虎口の守りを固めて入りにくくするために、様々な工夫が凝(こ)らされるようになったのです。だからといって、余(あま)りに虎口を工夫し過(す)ぎたり、その数を増やしすぎたりすれば、自分たちの生活の妨げにもなってしまいます。より守りを固めつつ、普段(ふだん)生活するにあたって使い勝手(かって)が良く、都合の良いように考えなくてはなりませんでした。

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(左)湯築城(ゆづきじょう)(愛媛県松山市)の搦手口(からめてもん) 土塁を割った単純な平入虎口です。 (右)二俣城(ふたまたじょう)(静岡県浜松市)の本丸搦手口 土塁の位置をずらした喰違虎口です

様々な虎口を見てみよう

最も単純で基本になるのは「平虎口(ひらこぐち)(平入り)」と呼ばれる、土塁を割って門を置く構造(こうぞう)のもので、城内へは直進することができました。仮に大軍が一気に押し寄(よ)せた場合は、正面から敵と互いに向かい合うため守りは弱くなってしまいます。そこで、真っすぐ進むことを防ぐために、入り口の前や後ろに、内部の様子を見えにくくして遮る(さえぎる)役目を持つ土塁を設けた「一文字土居(いちもんじどい)」が現れます。虎口の内側に設けられた直線の土塁を「蔀土居(しとみどい)」、外側に設けられたものを「茀土居(かざしどい)」と呼んでいます。

また、両側の土塁が一致(いっち)しないようにずらして、敵を真っすぐ侵入させないようにした「喰違虎口(くいちがいこぐち)」が設(もう)けられ、虎口を折れ曲がらせる工夫が凝らされるようになります。今までは平行だった土塁や石垣(いしがき)を、互(たが)い違いに配置することで、土塁の切れ目を正面ではなく側面(そくめん)に設けることが可能になったのです。城攻めに向った兵士たちは、鉤の手(かぎのて)(ほぼ直角に曲がることです)に折れて進まないと、城の内部へ入ることが出来ませんでした。

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(左)平虎口:単純に入口となる部分の土塁を切って門を造りました。敵と正面同士で相対することになります(右)喰違虎口:土塁を互い違いにすることで、門の前で折り曲げ、側面からの攻撃が出来ます
  

(お)れ曲げる最大の理由は、一つの方向からだけでなく、いろいろな方向から敵の側面を狙った攻撃を仕掛(しか)けるためだったのです。敵方がほぼ直角に折れることで、多くの敵兵が攻め寄せたとしても、2カ所以上から側面(そくめん)に攻撃することが出来るうえ、死角(しかく)(撃てない、見えない範囲)の部分をなくすことが出来ました。このように、側面(そくめん)から攻撃を仕掛ける工夫を「横矢掛(よこやがかり)」と呼んでいます。

中世の山城(やましろ)の多くは、作事(さくじ)(土木工事)による工夫で、出入口を守りやすく攻めがたくしていました。戦国時代以降(いこう)は、土木工事の工夫だけではなく、普請(ふしん)(門や櫓と言う建物を配置すること)によって、より強固(きょうこ)な虎口をつくることが出来るようになりました。やがて、この建物が虎口を守るための中心的な施設(しせつ)になっていくのです。単純な平入りの虎口であったとしても、2階建ての櫓門(やぐらもん)を設けることで、より守りやすく攻めづらい虎口に変化させることが出来ました。虎口は、作事と普請によって、より敵の攻撃を防ぎ、守ることが容易(ようい)になっていったのです。

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高松城(香川県高松市)桜御門内部の一文字土居
近世城郭(じょうかく)に採用された石垣造りの一文字土居です。三の丸御殿の入口であった桜御門を潜(くぐ)ると、御殿(ごてん)が見えないように、また直進できないように、直線の土塁が設けられていました

丸馬出(まるうまだし)と角馬出(かくうまだし)

虎口の前面(外側)に設けられた攻撃の拠点となる施設を持つ曲輪(くるわ)馬出(うまだし)と呼びます。多くの馬出は、周りを堀(ほり)で囲んで、内側や外側との連絡をするための通路は、土橋(どばし)木橋(きばし)が利用されました。曲輪の中に建物を建てることはまれで、多くの場合は何も建てず、敵を攻撃するための小さな基地として利用されました。

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馬出を持つ虎口の攻防戦のイメージ
虎口の前に小さな丸馬出を設けることで、敵方が簡単に城門に取りつくことが出来なくなると共に、分散させることができます。また、ここを出撃(しゅつげき)の場所にも利用できました

馬出は、外側の塁線の形から半円形を描く丸馬出(まるうまだし)と、コ字形に折れ曲がる角馬出(かくうまだし)に大きく分けています。多くの馬出は、土で造られた城に用いられる施設ですので、地形に左右されることもあり、ゆがんだような円形をしたものや、円か角か、わかりづらい馬出も見られます。半円形をした丸馬出の塁線は石垣では、造(つく)りづらいため、石垣造りの馬出のほとんどが角馬出になります。丸馬出の方が、半円形であるため、角馬出に比較して中から見えない範囲が少なくなり、少人数でも守り易(やす)いと言われていますが、本当かどうかはわかりません。

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(左)丸馬出のイメージ  (右)諏訪原城(静岡県島田市)の二の曲輪中馬出。南北28m、東西40m(内堀幅約18m)と、我が国最大規模を誇る丸馬出です   


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(左)角馬出のイメージ  (右)写真は、丹波篠山城(兵庫県篠山市)の東角馬出 篠山城の3ヵ所の入口前面すべてに角馬出が配されています。大手馬出、東馬出、南馬出です。東角馬出が、最もきれいな石垣積の角馬出です


馬出を虎口前面に配置することによって、虎口の前面に攻撃を仕掛ける基地が出来ると共に、城門そのものを守ることが出来るようになります。また、取り囲む敵の人数を分けて散らすことにもなりました。仮に馬出を奪(うば)われてしまったとしても、逃げ場がない曲輪ですので、城内から一斉(いっせい)射撃(しゃげき)を仕掛けることも出来ました。また、内部に入ってしまうと、外で待っている他の城攻めの人たちと連絡(れんらく)することや、一緒になって城を攻めることが難しくなってしまいます。城を守る側から見れば、迫(せま)った敵兵に対して、左右二本の土橋から、それぞれ攻撃を仕掛けて挟(はさ)み撃(う)ちにすることも出来たのです。馬出は、極(きわ)めて効果的な施設(しせつ)であったため、大坂冬の陣(じん)で真田信繁(幸村)が巨大な馬出である「真田丸」(さなだまる)を築(きず)いて、徳川方を大いに苦しめたのは有名です。

※イラストはすべて香川元太郎(かがわげんたろう)氏です。


今日ならったお城(しろ)の用語


虎口(こぐち)※
城の出入口の総称です。攻城戦の最前線となるため、簡単に進入できないよう様々な工夫が凝らされていました。一度に多くの人数が侵入できないように、小さい出入口としたので小口(こぐち)と呼ばれたのが、変化して虎口になったと言われます。

塁線(るいせん)
曲輪を区画するために、石垣や土塁などの構築物で造った連続するラインのことです

平虎口(ひらこぐち)
もっとも基本的な形をした虎口で、土塁や石垣の一部を割って、門を設けたものをいいます。平入り(ひらいり)とも呼ばれます。

一文字土居(いちもんじどい)
虎口の内側や外側に、一文字形(一直線)の防塁(土塁や石垣など)を構築し、前面から曲輪の内部を簡単に見えないようにすると共に、一度に多人数が入れないような工夫をしたものをいいます。

蔀土居(しとみどい)
虎口の内側に設けられた直線状の遮蔽物(土塁・石垣)のことです。

茀土居(かざしどい)
虎口の外側に設けられた直線状の遮蔽物(土塁・石垣)のことです。

喰違虎口(くいちがいこぐち)
土塁や石垣を平行ではなく、互い違いにすることによって、開口する部分を側面に設けた虎口のことです。城の攻めては、虎口の前でほぼ直角に曲がらざるを得なくなり、側面からの攻撃を容易にする目的がありました。

横矢(よこや)※
側面から攻撃するために、城を囲むライン(塁線)を折れ曲げたり、凹凸を設けたりした場所を呼びます。横矢掛(よこやがかり)とも言います。

作事(さくじ)※
天守や櫓(やぐら)・城門(じょうもん)や塀(へい)などを建てたり、修理したりする建築工事(大工仕事)全般のことです。

普請(ふしん)※
設計図通りに曲輪を造ったり、堀を掘ったりする土木工事全般を行うことです。土木工事には、土塁を造ったり、石垣を造ったり、修理したりすることなども含まれます。

馬出(うまだし)※
虎口(城門)の外側に守りを固めるためと、兵が出撃するときの拠点(きょてん)とするために築(きず)かれた曲輪のことです。丸馬出(まるうまだし)と角馬出(かくうまだし)に大きく分けられています。

土橋(どばし)※
堀を横断(おうだん)する通路として設けられる土を高く盛って造られた土手です。両側に堀を掘って、通路を掘り残すこともあります。

木橋(きばし)※
木材で造られた橋です。「掛橋(かけばし)」とも呼ばれ、堀に架(か)けるものでした。戦争状態になった時に、守備側が壊して敵が渡れないようにすることが出来ます。

丸馬出(まるうまだし)
外側のラインが半円形の曲線になる馬出のことです。石垣を円弧状に積むのは、非常に高い技術を必要とするため、ほとんどが土造りでした。

角馬出(かくうまだし)
外側のラインがコの状(じょう)に四角形になる馬出のことです。石垣で造られた馬出は、ほとんどが角馬出でした。

※は、再掲



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加藤理文(かとうまさふみ)先生
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公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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