お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第1回 |【岡崎城・前編】徳川家康が誕生した城は、今も街のシンボルに

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。初回は天下人・徳川家康が生まれた岡崎城(愛知県)。今も街のシンボルとして、その存在感を発揮してしている岡崎城で楽しめる情報をご紹介します。※初掲 2017年12月6日。2023年2月20日更新




岡崎城、二の丸、天守、日本100名城
二の丸側から見た天守。天守は1959年に建てられたもの。2006年に日本100名城に選定

復元天守に迎えられ、いざ城内へ

東海道五十三次の38番目の宿場であった岡崎。この地は徳川幕府の時代、天下人・徳川家康が生まれた岡崎城があったため、宿場の規模はとても5万石の城下とは思えないほど大きく、駿河国府中宿(現在の静岡県静岡市葵区)に次いでいたという。そんな賑わいの面影は、今も十分に感じられる街だ。

岡崎城は現在、岡崎公園となっている。国道からも見える天守は、1959年に再建された鉄筋コンクリート造りだが、外見は明治時代に写された古写真を元にした、実にお城らしいスタイル。周囲のビルに負けない存在感を発揮している。二の丸には『三河武士のやかた家康館』(※2023年1月21日(土)~2024年1月8日(月・祝)まで「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」としてオープン)や茶店、駐車場がある。

この城を訪れたならば、まずは国道に面した大手門をくぐることにしたい。入母屋造りの屋根は江戸物本瓦、石垣は地元産の御影石が使われた堂々とたる門で、1993年に再建されたものだ。門をくぐり城内(公園内)に入ると、正面に『三河武士のやかた家康館』が見える。その前は広場になっていて、タイミングが合えば岡崎城名物のひとつ、『グレート家康公「葵」武将隊』のおもてなし演舞に出迎えてもらえるのだ。城に今ひとつ興味を持っていない細君でも、この迫力満点の演技はお気に召すはず。なにしろ、なかなかのイケメン揃いなのだから……。

岡崎城、大手門、二の丸入口
公園となっている二の丸入口に再建された大手門

岡崎城、グレート家康公、葵武将隊、
岡崎城公園を訪れる人たちを力強いパフォーマンスでもてなしてくれる、「グレート家康公「葵」武将隊」

家康生誕の地で徳川の歴史を知る

二の丸には有名な家康のしかみ像をもとに作製された石像や徳川四天王のひとり本多忠勝の像、さらに30分ごとに家康公の人形が能を舞うからくり時計、美しい季節の花が迎えてくれる大きな花時計が来園者を楽しませてくれる。そこから天守へと向かうと、家康公と竹千代の像が鎮座した石のベンチがあり、天守とともに記念写真が撮影できる。

ベンチからは空堀を回り込むように天守へ。この空堀、10m以上の深さがあり石垣の傾斜は垂直に近い。これを見ただけで、城の防御力の高さが想像できる。まさに岡崎城の見どころのひとつだ。そして龍城神社の脇を抜けると、天守正面に出る。

岡崎城、石造、しかみ像
三方ヶ原で武田軍に大敗した際に描かせたという「しかみ像」をもとにした石像

岡崎城、からくり時計、家康公
毎時00分と30分に家康公の人形が能を舞うからくり時計

岡崎城、石垣、本丸、空堀
石垣が積まれた本丸の空堀

関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)、本多康重が岡崎入封。以来、徳川政権下では神君家康公誕生の地として重きを置かれ、歴代の城主は譜代大名が務めている。康重の子の康紀が城主を務めていた元和3年(1617)、三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓をもつ複合天守が建てられた。現在の天守は、この時のものを模した復興天守である。

城内は各階ごとにテーマを設けた歴史資料館となっていて、展示物やジオラマシアターなどで岡崎城の歴史を紹介。家康の出生から天下統一までと、それを支えた三河武士達を、5つのコーナーに分けて解説している常設展や、さまざまな企画展が行なわれている「三河武士のやかた家康館」との共通入館券あり。

天守閣の西側にも家康公のえな(へその緒や胎盤)を埋めたと伝えられる「東照公えな塚」や、竹千代の産湯に使われた水を汲んだと伝わる「東照公産湯の井戸」がある。城内散策で疲れたら、大手門並びの売店「ひょうたんや」を覗いてみよう。お土産物だけでなく、名物の八丁味噌牛すじや八丁味噌こんにゃくおでん、みたらしだんご、それに軽食や女性が喜ぶ甘味などが味わえる。

岡崎城、竹千代の産湯、東照公産湯の井戸
岡崎城内で誕生した竹千代の産湯に使われた水を汲んだと伝わる「東照公産湯の井戸」

岡崎城、東照公えな塚
家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたと伝えられる「東照公えな塚」

後編へつづく


城プロフィール
岡崎城は、菅生川と矢作川の合流地点にある丘陵上に築かれており、徳川家康の生誕地として知られる城。一時、今川氏の属城となるが、桶狭間の戦い後に家康が城を取り戻し今川氏から独立する。家康の関東移封後に田中吉政が入城し、近世城郭へと改築。江戸時代になると神君の生誕地として重要視され、譜代の大名が城主を務めた。廃城令で建物は破却されたが、1959年に天守がコンクリート造りで再建されている。

執筆・写真/野田伊豆守(のだいずのかみ)
東京都出身。日本大学芸術学部卒業、出版社勤務を経てフリーエディターに。アウトドアや歴史、旅行など幅広い分野で活動を行っている。主著に『太平洋戦争 その始まりと終焉』(三栄書房)、『旧街道を歩く』『東京の里山を遊ぶ』(ともに交通新聞社)

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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