お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第1回 |【岡崎城・後編】複雑な街道を巡って手に入れる伝統の八丁味噌

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。天下人・徳川家康が生まれた岡崎城(愛知県)の後編では、城下を散策しながら楽しめる観光スポットやお土産情報をお届けします。

岡崎城、八丁味噌蔵、旧東海道、往還通り
2軒の八丁味噌蔵に挟まれた旧東海道。現在は往還通りと呼ばれている

宿場町の面影を残す町、岡崎

豊臣秀吉が天下人となり徳川家康が関東に移封されると、岡崎城には豊臣家家臣の田中吉政が入った。この時、関東の家康を抑えるため、吉政は城地を大幅に拡張。強固な石垣や城壁が用いられた近世城郭に生まれ変わっている。
さらに城下の外れを抜けていた東海道を、城下町中心を通るように変え、道筋も複雑に折れ曲がるようにつくり変えた。これは「岡崎二十七曲り」と呼ばれ、完成まで何と10年もの歳月を要しているのだ。今も町中を抜ける道の脇に、当時の街道を示す道標や石像、常夜灯などが数多く点在している。それをたどれば、複雑な道筋をなぞることができる。

岡崎城、二十七曲り道、道標
二十七曲り道に残る道標(かみゆ歴史編集部提供)

伝統の味を受け継ぐ八丁味噌

そして岡崎城の前を抜け、西へ八丁(約870m)行くと、八丁村(現・八帖町)に入る。ここには旧東海道を挟んで古くから続く2軒の味噌蔵が建っている。八丁村にあったことから、この2軒で製造される味噌は「八丁味噌」と呼ばれるようになったという。現在も『まるや八丁味噌』と『カクキュー八丁味噌』は、当時と変わらない製法を守り続け、伝統の味を今に伝えている。

今も頑なに守られているのは「大豆のみで大豆麹を造る。そして塩と水と一緒に木桶に仕込む。この時、極力少ない量の水しか使わない。その少ない水分でも出来上がるように、代々使い続けてきた川石(玉石)を山のように積み上げて重石とする。そして二夏二冬以上のあいだ人の手を入れること無く八丁の地の気候風土の中で熟成をさせる」(八丁味噌協同組合HPより)という製法だ。両社とも味噌蔵の見学ができるので、ぜひ。

岡崎城、蒸し煮、大豆、味噌玉
蒸し煮にした大豆を拳程度の大きさに丸めた味噌玉

岡崎城、麹菌、大豆麹
麹菌をまぶしたことで、出来上がった大豆麹

岡崎城、味噌づくり、大豆麹、木桶
味噌づくりの工程。大豆麹と塩と水を混ぜ、木桶に仕込む

この八丁味噌をはじめとする赤味噌の一大消費地である愛知県は、何と糖尿病で亡くなる人の数が際だって少ないというデータが報告されている。赤味噌には大豆の色素成分メラノイジンが多く含まれていて、これが糖分の消化吸収速度を遅くし、食後の血糖値の上昇を抑える働きがあるのだ。さらにメラノイジンには、タンパク質の消化酵素であるトリプシンを阻害する働きもある。これらの働きにより膵臓機能を促進し、血糖値を下げるインスリンの分泌を盛んにする。さすがは健康オタク家康公のお膝元である。

岡崎城、八丁味噌
伝統的な製法でつくられた八丁味噌。この名の味噌を製造できるのは2社だけ

最近、家族の健康が気になる奥方にとって、これほど有り難い土産物はないだろう。奥方と言えば、家康の正室であった築山御前の首塚が、岡崎にあることはあまり知られていない。現在は周囲が静かな住宅街となっている場所に建つ八柱神社の境内に、首だけが葬られているというのだ。場所は岡崎インターの近くなので、岡崎城から徒歩だとちょっと時間がかかる。体力に自身のある方、運動不足解消を狙う方は挑戦してみてはいかが。

そして岡崎といえば、もうひとつ忘れてはならないのが矢作橋。安藤広重が描いた『東海道五十三次・岡崎宿』でも、この橋が絵柄となっている。橋の西詰には『小六・日吉丸像』が建っている。これは後の豊臣秀吉(日吉丸)と蜂須賀小六(正勝)がこの橋で初めて出会った、という逸話から設置されたのだが、これは江戸時代に出版された『絵本太閤記』に出てくる創作話。ただ愛嬌溢れる石像なので一見の価値あり、だ。

八柱神社、境内、築山御前、首塚、岡崎城
八柱神社の境内にある築山御前の首塚

矢作橋西詰、小六・日吉丸像
矢作橋西詰に建つ『小六・日吉丸像』


前編はこちら


執筆・写真/野田伊豆守(のだいずのかみ)
東京都出身。日本大学芸術学部卒業、出版社勤務を経てフリーエディターに。アウトドアや歴史、旅行など幅広い分野で活動を行っている。主著に『太平洋戦争 その始まりと終焉』(三栄書房)、『旧街道を歩く』『東京の里山を遊ぶ』(ともに交通新聞社)

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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