お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第6回 |【松代城・後編】城下町に残る江戸時代の建築

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「真田邸」の庭園。座観式の庭では四季それぞれの風情を味わえる

真田の歴史を知るなら松代へ

埼玉、山梨、長野の県境にそびえる甲武信ヶ岳に端を発する千曲川は、島崎藤村の写生文『千曲川のスケッチ』で、鮮やかに描かれたことでも知られている。その千曲川に沿って広がる長野盆地(善光寺平)の東側に当たるのが、古くは河東と呼ばれる地域で、その中心地が松代であった。

徳川家康が江戸に幕府を開いてから約20年後の元和8年(1622)、上田藩から真田信之が新たな松代藩主として入封する。信之が松代10万石を治めるようになると、今も残る城下町が形成されていった。そんな松代を訪れた際は、まず真田宝物館に足を運びたい。

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真田氏の歴史や貴重な資料に触れられる真田宝物館

ここは1966年、真田家12代当主の幸治氏からに譲られた、真田家伝来の武具や調度品、書画、文書などの大名道具を収蔵・展示する博物館として開館。国の重文「青江の大太刀」や真田昌幸所用の「昇梯子の具足」、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康らの書状など、戦国ファン垂涎の貴重な資料がおよそ5万点も収蔵されているのだ。

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真田邸では江戸時代末期の御殿建築を見る事ができる

宝物館の並びには、9代藩主の幸教が元治元年(1864)に建てた城外御殿である「真田邸」が残されている。ここは江戸末期の御殿建築を知ることができる貴重な屋敷。松代城と一体のものとして国の史跡に指定されている。庭園内に残る3番土蔵では、松代文化財ボランティアの会による体験工房として、切り紙や筝の演奏などが体験できる。

もうひとつ見ておきたいのが文武学校だ。ここは8代藩主の幸貫が、水戸の弘道館にならい計画。幸教時代の安政2年(1855)に開校した。藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場で、創建当時の姿を今も残し、江戸時代の質実な空気が味わえる。以上の三施設は共通入館券を購入しておくのが断然お得!

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西洋の医学や軍学も教えていた文武学校

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文武学校の弓道場や剣術所、槍術所などは、今も使われている

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上級武士の屋敷・旧樋口家裕宅では主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀が修景・復元されている

松代の町中には武家屋敷や鐘楼なども残されている。また、舞鶴山を中心に掘られた象山地下壕も見ておきたい。これは第二次大戦末期、極秘のうちに大本営や政府各省等をこの地に移す計画のもと、1944年11月11日から建設されたもの。現在は地震観測所となっていて、内部の見学もできる。ヘルメットを着用するので、ちょっとした探検気分が味わえるのだ!

お土産も選び放題!自然豊かな松代町

史跡がてんこ盛りの松代は、長野市南端の閑静なベッドタウンという顔も持つ。かつては長野電鉄屋代線が通っていたが、2012年に残念ながら廃線となった。ただ大正11年(1922)に建てられた松代駅舎は、今も町のシンボルとして残されている。一部、線路も残っているので廃線マニアなら嬉しい、かも。

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果てしなく広がる長芋畑。これでも耕作面積は全盛期の半分だとか(松代観光推進機構提供)

さらには農業も盛んで、特産品の長芋畑が果てしなく広がっている光景は圧巻。桃や杏、ぶどうにりんごなどの栽培も盛んに行なわれているので、旅の土産物にも事欠かない。

毎年10月に開催される「松代藩真田十万石まつり」の勇壮にして豪華な行列も必見。戦国時代の真田昌幸隊から、江戸時代の大名行列、そして幕末の佐久間象山隊まで、総勢250名が練り歩く姿はまさに圧巻! 佐久間象山隊の大筒が火を噴く光景も楽しめる。

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鎧武者や大名行列のほか華麗な姫様道中や大筒試射など、イベントも盛りだくさんの「松代藩真田十万石まつり」(松代観光推進機構提供)

▼前編はこちら

松代城(まつしろ・じょう/長野県長野市)
松代城は武田信玄が築かせた海津城を前身とする城。武田氏滅亡後は森長可が居城とするが本能寺の変が起こると放棄される。江戸時代になると真田信之が入城し、松代藩主真田家の居城として幕末を迎えた。

執筆・写真/野田伊豆守(のだいずのかみ)
東京都出身。日本大学芸術学部卒業、出版社勤務を経てフリーエディターに。アウトドアや歴史、旅行など幅広い分野で活動を行っている。主著に『密教の聖地 高野山』(共著・三栄書房)、『旧街道を歩く』『東京の里山を遊ぶ』(ともに交通新聞社)、『太平洋戦争 その始まりと終焉』(三栄書房)

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