お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第6回 |【松代城・前編】武田信玄と上杉謙信が激突した 八幡原の戦跡

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。今回は、武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いの舞台であり、江戸時代には真田家の居城であった長野県の松代城(海津城)へ。※初掲 2018年8月30日。2022年10月6日更新




松代城、本丸、内堀、太鼓門前橋
本丸を囲む内堀に架かる太鼓門前橋

武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いの舞台・海津城

私にとって松代城は割と縁がある城で、自宅から訪れやすい場所にあるわけでもないのに、すでに7回か8回は訪れている。そしていちばん最近訪れたのが2016年、ちょうど大河ドラマ『真田丸』が放映されている年だった。そのため、松代は町の至る所に関連の幟が立ち、おおいに盛り上がっていた。

そのドラマ内で、父親譲りの知謀を持つ優秀な弟に、右往左往させられながらも家を守り抜いた嫡男として描かれていた真田源三郎信幸(後に信之に改名)。その信之が初代藩主となった松代藩の、藩庁が置かれたのがこの松代城である。そう言えば信之の官位は伊豆守だったから、同じく伊豆守を名乗る私は、縁があるのも当然なのかな……(笑)。

松代城が歴史上で重要な役割を演じたのは、永禄年間(1558〜1570年)のこと。信濃を手中に収めるべく侵攻を開始した甲斐の武田信玄と、北信の豪族から庇護を要請された越後の上杉謙信。この両雄が北信濃を舞台に激突する。有名な「川中島の戦い」である。

松代城、海津城址、石碑
松代城内には“海津城址”の文字が刻まれた石碑も立っている

中でも永禄4年(1561)に起こった第四次合戦は、両軍が八幡原で大規模に激突。この戦いの前に信玄は川中島一帯の穀倉地帯掌握と、謙信への抑えのため千曲川河畔に城を築城。これが後に松代城となる海津城である。

八幡原の戦いはとにかく激戦で、武田方の副将であった武田信繁や軍師の山本勘助が討死している。その舞台となった八幡原は現在、史跡公園となっていて、松代城から車で10分ほどの場所だ。公園内の松林の中には古くからの八幡社が静かに佇み、その境内には信玄と謙信両雄の一騎打ち像が立っている。

この有名なシーンは、妻女山に布陣していた謙信の軍に対し、山本勘助が別働隊を組織して上杉軍を山から下ろさせ、これを平野部に布陣した本隊とで挟撃するという「啄木鳥戦法」を提案したことで起こった。

松代城、川中島古戦城、信玄、謙信、一騎討像
川中島古戦場に残る信玄と謙信の一騎討像(かみゆ歴史編集部提供)

この作戦を察知した謙信は、夜陰に紛れて密かに山を下る。そして信玄の本隊前に布陣し、夜が明けるとたたみかけるように武田軍を攻撃。乱戦の中、信玄本陣に騎馬で乗り込んだ謙信が、床几に座る信玄に太刀を浴びせ、信玄は軍配でこれを受けた。この一騎打ちシーンを再現したのが、公園内の像なのだ。

ちなみに、川中島古戦場公園内には、大盛り蕎麦が人気の「手打そば処横綱」がある。戦跡散策のお供に舌鼓を打つのはいかが?

復元された真田氏時代の門を楽しむ

松代城、本丸、太鼓門、絵地図
本丸内から見た太鼓門。絵図面に基づき忠実に再現された

このあたりで、話しを松代城に戻そう。真田信之が元和8年(1622)に入封して以降、明治の廃城まで真田家の居城となり、正徳元年(1711)、幕命により松代城と改名された。

松代城、櫓、石垣
櫓が建っていた場所に残されている石垣。

松代城、二の丸、土塁、埋門
二の丸を囲んでいた土塁には埋門もあった。

松代城、本丸、搦手、北不明門、櫓門、桝形
本丸の搦手にある北不明門。櫓門と表門で枡形を成す。

現在は太鼓門や北不明門などが、江戸時代の絵図面をもとに再建されている。加えて武田式築城の面影が残る、馬出などの遺構も見られる貴重な城跡なのだ。

松代城はさして大きくはないので、グルリと回っても疲れないかもしれない。それでも城めぐりの後はひと風呂浴びたくなるのが人情というもの。松代城から車で5分ほどの所にある日帰り温泉施設「コトリの湯」は、松代の街並を見渡しながら入浴できる展望露天風呂やスチームサウナなどが楽しめる。入浴後には、ふわふわの巣ごもりソファやハンモック、隠れ家のようなスペースが楽しめる注目の施設。次回はぜひ、ここに巣ごもりしに行くことにしよう!

松代城、コトリの湯
青い外壁と瓦がマッチしたとてもオシャレな外観のコトリの湯(コトリの湯提供)

後編へつづく。

松代城(まつしろ・じょう/長野県長野市)
松代城は武田信玄が築かせた海津城を前身とする城。武田氏滅亡後は森長可の居城となるが、本能寺の変が起こると放棄される。江戸時代になると真田信之が入城し、松代藩主真田家の居城として幕末を迎えた。

執筆・写真/野田伊豆守(のだいずのかみ)
東京都出身。日本大学芸術学部卒業、出版社勤務を経てフリーエディターに。アウトドアや歴史、旅行など幅広い分野で活動を行っている。主著に『密教の聖地 高野山』(共著・三栄書房)、『旧街道を歩く』『東京の里山を遊ぶ』(ともに交通新聞社)、『太平洋戦争 その始まりと終焉』(三栄書房)

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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