羽後滝沢城からの転戦です。矢島小学校はすでに移転しているようなのですが、関係者以外立ち入り禁止の表示が出ていました。別名矢島城で由利高原鉄道の終点矢島駅のほど近くです。由利高原鉄道は2016年に完乗しているのですが、まだその時には城びとは存在しておらず、八森城の存在も知りませんでした。乗り鉄と攻城の抱き合わせにはとてもそそられます。
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2025/10/15 06:47
2024/06/19 11:44
舌状台地東に生駒氏八森城 (2024/05/23 訪問)
東北城探訪3日目を終えて、北上駅前に宿泊、4日目は午前中を秋田県由利本荘市八島、と横手市の登城へ、昨年8月ぎりょうさんの投稿で生駒氏の八森城、陣屋が存続してる事を認知し行ってみたいと城びと登録、中々訪ねるには遠距離なので、今回の東北城探訪の三内丸山遺跡、福島城はじめ安倍・安藤氏の城郭主目的企画に加え、交通の便利な北上から秋田道を走り地道を越えて初探訪しました。念願が叶って大変満足です。
駐車場:八島総合支所駐車場を利用、トイレは支所を利用させて頂きました。
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
八島総合支所から八森城大手門、大手門橋へ松が植わって居り遠くからも位置が分かります、投稿写真で見ていた、水堀、大手橋、手前には八森城址碑、八森城址解説板、八森城家中絵図(明治4年)が設置されてる、前には藩学日新堂跡の標柱、八島高校跡の石碑も立っている、大手橋からは関係者以外立ち入り禁止看板と工事用安馬がガードしてるので覗くだけ、水堀の北端の石垣を確認して、八島歴史交流館へ、開いていない外部周辺を見学し、生駒家重臣佐徳家の住宅で明治に成って再建、江戸期の武家屋敷基準で建築されているとの事。武家屋敷跡の丸石石垣が雰囲気を醸してる、途中に佐藤政忠家住宅が移築されて支所近くに建っている、周辺立退きか再開発か?建物が無く空き地が広がっている、元小学校も建物は有るが空きなのか?グーグルマップで確認すると東の子吉川沿いに小学校中学校高校と纏まっています。
八森城の資料の入手の為、交流館がダメでしたので総合支所に寄り資料、情報を頂く、往路の県道32号線は峠が狭くひやひやでしたので帰路の情報もゲット。支所の方々にお世話に成りありがとうございました。
総合支所の紹介で日新館・資料館を訪ねる、玄関先から鳥海山を2度目仰ぎ見る事が出来ました、丁度鳥海山ろく線終点八島駅が近く水色の可愛い1両電車、気動車が動き出発本荘市へ。
讃岐の高松城、丸亀城の石垣構築をした生駒氏が家中の騒動で家禄を没収されて、1万石の堪忍料を許されて出羽の八森城に入り陣屋として幕末明治まで継承された、生駒家が八森城八島で家名存続だけでもありがたい事です。感激の探訪でした。
10番目の写真は県道32号線ひやひやして走行した後の八島側の棚田と雪を被った鳥海山の写真で細道峠を越えたご褒美かも知れません。
この後は横手市の沼館城・沼の柵を探訪します。
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2023/08/12 18:46
出羽で家名存続、生駒氏の陣屋跡 (2023/08/11 訪問)
ここは昨年、由利本荘市内の城館探訪の際、時間切れで攻城を断念した場所。以来ずっと気になっていただけに、猛暑が続いていますが自身の夏休み初日の朝6時に由利本荘市矢島町を目指して出発、午前9時には城址に到着できました。
この城は由利十二頭のひとり大井氏が応仁年間(1467~1469)年に築城したといいます。関ヶ原合戦の後、由利郡は最上義光が領し、その臣楯岡氏が配されると慶長7(1602)年に楯岡満広が城主となります。最上家改易後の元和9(1623)年には常陸国行方郡に転封していた元由利十二頭のひとり打越光隆が矢島3000石の領主として配されます。寛永12(1635)年に打越氏が無嗣廃絶となると、寛永17(1640)年に讃岐国17万1800石の生駒高俊は家中不取締りで改易となり、堪忍領として矢島1万石で入部します。その後は維新まで13代229年間にわたって生駒氏の陣屋として続き、戊辰戦争に際して生駒氏は新政府側に付き庄内藩の攻撃を受けると陣屋に火を放って撤退し「落城」したといいます。
城域は西側から延びる比高70mほどの台地の東端に主曲輪を置き、北、東、南側は切り立った崖、西側の藩学日新堂の跡地が二ノ曲輪と思われます。主曲輪(現在矢島小学校地)と二ノ曲輪とは大手門跡前にある水掘で区画していますが、これは中世には空堀で、近世の陣屋時代の遺構かと思いました。
元禄年間に描かれた絵図をもとに明治4年に聞書きした家中絵図が城址にあり、曲輪の西側が武家屋敷地となっていたようです。大手門に向けて東西に城内大路、南北に山本大路があり、それぞれの両脇に亀小路を始め、鶴、桃、櫻、柏、橘、楊、松、梅、椿、桂の各小路があり100軒ほどの家中屋敷が描かれています。城址の南側には館町、田中町の町人町が東西に延び城下町を構成しており、こじんまりした城址とそれをとりまく城下町の風情には心が和みます。
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 大井義久 |
築城年 | 応仁年間(1467〜1469) |
主な城主 | 大井氏(矢島氏)、楯岡満広(最上氏家臣)、打越氏、生駒氏(陣屋) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
指定文化財 | 市史跡(八森城址) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 秋田県由利本荘市矢島町城内 |
問い合わせ先 | 由利本荘市文化課・各教育学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0184-32-1337 |