やまだじょう

山田城

沖縄県国頭郡

別名 : 山田グスク
旧国名 : 琉球

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①	山田城の石積
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トク

②【護佐丸と沖縄6城】:(1)山田城(2/2) (2025/02/04 訪問)

山田城の続き(2/2)です。石積の前に着きました。
1390年護佐丸は山田城按司の三男としてここで生まれます(写真①②③④)。そして幼少の頃を、ここで過ごしました。ちょうど京都では足利義満が権勢を振るっている頃でした。

後に護佐丸は、ここ恩納村から西へ8km程の読谷村の座喜味の丘に城を移しますが、その時にこの山田城の石を座喜味へ運んだそうです。そのせいか遺構はわずかで、あまり残っていませんでした。本丸の西側崖地には、先祖代々の墓が埋め込まれる形でありました(写真⑤⑥⑦)。

曾祖父は今帰仁城の按司でしたが、「怕尼芝」(はねじ)に滅ぼされ、怕尼芝は北山王を名乗るようになります。曾祖父の子(=護佐丸の祖父)は中山王尚氏の家臣となり、恩納村の地が与えられ、標高90mの山田に平山城を築きました(写真⑧山田城全景)。よって護佐丸はこの山田城の三代目という事になります。

ここで1416年、護佐丸26才になった時、ついに彼に大きな転機が訪れます。当時の主君、中山王の「尚巴志」(しょうはし)は、敵対する当時の北山王「攀安知」(はんあんち)を滅ぼすため討伐の兵を上げたのです。これは琉球を統一するための戦いでした。そこで護佐丸は、「これは念願の曾祖父の仇を討つ絶好のチャンスだ!」と討伐軍に加わります。

山田城の石積の場所からは、恩納の海岸越しに北山(名護・本部半島)が見えました(写真⑨と前回写真②)。護佐丸はどんな思いで尚巴志とともに、ここから今帰仁城を目指して北上したのでしょうか?

次は、その今帰仁城を訪れます。
 

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トク

①【護佐丸と沖縄6城】:(1)山田城(1/2) (2025/02/04 訪問)

まず1城目は、護佐丸生誕の地「山田城」です。
県庁北口から沖縄バス[120]名護BT行に乗り100分(含遅着20分)、恩納ビーチのルネサンスホテル前で下車しました(写真①)。私はここから、歴史の道を歩いて山田城を巡り、山田のバス停へ抜けて行くルートを選択しました(逆も行けます)。バス停から国道58号線沿いに5分程歩いて戻った所に、歴史の道入口の案内標識がありました(写真②③④⑤)。ここが登城口と思われ、西海道とも書かれていました。という事は、山田城は北山と中山を結ぶ海道の境界に位置する場所なので、重要な関所の役割も担っていたという事ですね。

山田城には山田側からは車で登って行けますが駐車場が無いので(路駐になる)、車の方はお時間あればルネサンスホテルの広大な無料駐車場に停めて、私のように歴史の道をゆっくり歩かれて行くのもいいかと思います(往復60分くらいで山道なので歩きやすい靴で)。

歴史の道は整備された遊歩道で森林浴を楽しめました。途中に山田谷川(ヤ―ガ)の石橋(写真⑥⑦⑧)がありました。このあたりは水汲みや水風呂の場所だったようです。そこから少し登ると小さな文化庁の建物と案内図があります(写真⑨)。その横から先の山田按司(久良波大主)の墓の標識に沿って行かずに、気づきにくいですがその右に下る細い道があり(写真⑩の右側)、そこを下った場所に石積がありました。おそらくこのあたりが山田城の中心で、護佐丸の居館もこのあたりにあったのではないかと思われます。当時の面影に少しだけ浸る事ができました(その写真は次回)。

(2/2)へ続きます。
 

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dougen

2016.12.2登城 (2016/12/02 訪問)

恩納城から国道58号を南下すると山田城址の案内板があり、入って行くと、歴史の道の解説板があり、周辺の略図が記載されています。
山田城址のおおよその場所は特定できるのですが、肝心の登城口が書かれておらず、略図に書かれた護佐丸父祖の墓には行けたものの、山田城址に行くことができませんでした。
恩納村のWebサイトには石垣があることが記載されていましたので、残念です。
良く見ると恩納村のサイトに城址までのルートが記載されていたので、次回、訪れる機会があれば、登城してみたいと思います。
そもそも国の史跡に指定されているので、整備をして欲しいところです。

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todo94

国史跡 (2011/01/04 訪問)

恩納村の琉球村の近くにある。琉球統一時の功臣・護佐丸の居城で座喜味城が築城される際に石が持ち去られてしまっているようだが、それなりに遺構も残っているという。まずは近くの見所、山田谷川石矼(いしばし)へ。そして護佐丸父祖の墓。写真右側の石碑ではなく墓は洞窟内の壁面に埋め込まれている。これらは表示がしっかりあって探すのに難渋しなかったが、肝心の山田城の表示がない。現地の地図をよく見て、ここぞと思われる道を上って頂上を極めたが、そこにも何の表示も存在しなかった。それなりに郭らしさも感じられるので間違いはないと思うが、何とも、充足感が得られない。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 なし
築城主 護佐丸
築城年 14〜15世紀?
主な城主 護佐丸
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国史跡(山田城跡)
再建造物 説明板
住所 沖縄県国頭郡恩納村山田
問い合わせ先 恩納村役場
問い合わせ先電話番号 098-966-1200