なんごうじょう

南郷城

鹿児島県日置市

別名 : 永吉城
旧国名 : 薩摩

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南郷城跡、頭に右200mと有る
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カズサン

シラス群郭式山城、辿り着けず (2025/10/29 訪問)

 伊作城跡を終えて北へ直線約5.5km程、経路約9.5km程の南郷城を目指す、県道22号線を西へ国道270号線に入り北へ、県道35号線を東へ、永吉小学校をへ、永吉小学校西の通りを北へ、ナビに入力した駐車場までたどり着いたが一軒家、人気無し、周辺歩いて眺めたが駐車場分からず、先の道は細く車の返しが出来ないことを不安に思い引き返す。(後から確認したら100m手前でした)
 永吉招魂碑案内板の西側に南郷城跡石碑と難読出来ない説明板を写して終了としました。

 帰ってから良く余湖図コレクションを精読しましたら駐車場の位置が明瞭に分かり、グーグルマップの精度をアップすると駐車場の位置が明瞭に指示されていました、もう少し事前の調査を精度アップして居たらと後悔しました。この年齢ですから次回は無いかも?

 南郷城の構造は切り立った断崖の有るシラス台地に築かれた比高約50~60mの群郭式山城、西から野脛城、根子城、高城(本丸)、東城などの郭で構成されて連郭式にも見える。
 歴史は、築城年代は定かでないが平安末期には日置南郷として開発されて桑波多氏が郡司として管理して居た。戦国期、伊作島津氏に従っていたが謀反を翻し、天文2年(1533年)伊作島津忠良(日新公)によって南郷城は攻め落とされた。南郷城の戦は薩摩統一を目指す伊作島津家にとって、最初の攻防戦であった。ここから伊作島津家の快進撃が始まって行く。(城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの抜粋)

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小城小次郎

手作り感満載の整備が実によい (2022/07/09 訪問)

地元の日置南郷会の皆様が手作り感満載の整備を行って下さっているのは有難い限り。紀氏一族の桑波田氏が長くこの地にあったが島津美久と島津忠良・貴久(島津四兄弟の父)との抗争に巻き込まれて歴史の表舞台から姿を消した。

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零汰

再訪問 (2019/07/07 訪問)

バイクは車と違ってタイヤが2本、自立の出来ない乗り物です。油断をしてしまうと倒してしまいます。何より倒した時はメンタルが崩壊して気を取り直すのに時間が掛かります。城訪問のお供の赤い2号機は重量が300kgオーバーで独りで起こすのはとても大変、今まで3回城跡で倒しています。初めて倒したのは3年前のこの城跡、気を取り直して訪問を初めたが堀切の土砂崩れで訪問不可能。踏んだり蹴ったりの城跡でその後どうにも足が向かなかった場所です。先月6/27に付近の城跡と合わせて3年ぶりの訪問。今回は無事に回る事が出来ました。

南郷城は高城・東の城・根子城・野〇城などの総称で高城が本丸となります。各々の曲輪は鹿児島特有の高い堀切で遮断され荒々しくも心地よい雰囲気を醸し出しています。写真には有りませんが切岸がほぼ垂直に近い場所もあります。石積など見る事は出来ませんが、歩き回るとあちらこちらに遺構の造形美を楽しむ事が出来ます。

所要時間1時間15分:1.6km:累計高低差121m


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ひおきPR武将隊

南郷城

難攻不落と呼ばれた南郷城。今もその面影が残っています。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 桑波田覚弁
築城年 南北朝時代
主な城主 桑波田氏、島津氏
遺構 曲輪、土塁、竪堀、堀切
指定文化財 市史跡(南郷城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 鹿児島県日置市吹上町永吉宇都
問い合わせ先 日置市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 099-273-2111