伊作城跡を終えて北へ直線約5.5km程、経路約9.5km程の南郷城を目指す、県道22号線を西へ国道270号線に入り北へ、県道35号線を東へ、永吉小学校をへ、永吉小学校西の通りを北へ、ナビに入力した駐車場までたどり着いたが一軒家、人気無し、周辺歩いて眺めたが駐車場分からず、先の道は細く車の返しが出来ないことを不安に思い引き返す。(後から確認したら100m手前でした)
永吉招魂碑案内板の西側に南郷城跡石碑と難読出来ない説明板を写して終了としました。
帰ってから良く余湖図コレクションを精読しましたら駐車場の位置が明瞭に分かり、グーグルマップの精度をアップすると駐車場の位置が明瞭に指示されていました、もう少し事前の調査を精度アップして居たらと後悔しました。この年齢ですから次回は無いかも?
南郷城の構造は切り立った断崖の有るシラス台地に築かれた比高約50~60mの群郭式山城、西から野脛城、根子城、高城(本丸)、東城などの郭で構成されて連郭式にも見える。
歴史は、築城年代は定かでないが平安末期には日置南郷として開発されて桑波多氏が郡司として管理して居た。戦国期、伊作島津氏に従っていたが謀反を翻し、天文2年(1533年)伊作島津忠良(日新公)によって南郷城は攻め落とされた。南郷城の戦は薩摩統一を目指す伊作島津家にとって、最初の攻防戦であった。ここから伊作島津家の快進撃が始まって行く。(城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの抜粋)
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