春の長崎天草を巡る旅、(10城目)は「本渡城」です。
本渡バスセンター(終点)で降りて徒歩15分、小高い丘の上に本渡城はありました。ここはかつて天草五人衆の一人「天草氏」の居城です。ザビエルの後継として天草に上陸したアルメイダは、天草氏と志岐氏から布教許可を得て天草の地にキリスト教を広めました。医学にも長けていたため診療所なども開き、信者のアダム荒川に医学を伝授して、領民から信頼されていったようです。そのアルメイダとアダム荒川の碑が、城内のキリシタン墓地にありました(写真④)。
ここでは過去に大きな戦いが二度行われました。一度目は、九州を手中にしようとする豊臣秀吉の命で、加藤清正と小西行長がここ本渡城に籠る天草氏を攻めます。ここで小西行長はキリシタンであったため、同じキリシタンたちは保護しようとします。しかし加籐清正はそれを許さず、天草氏・志岐氏を攻め滅ぼしました。この時からこの二人は犬猿の仲となり、この後の朝鮮出兵でも対立します。
二度目の戦いは天草一揆です。ここ本渡は激戦地となりました。寺沢堅高の悪政に業を煮やし、大矢野島で決起した天草四郎率いる天草の一揆軍は、ここ本渡で唐津藩の軍勢と戦い勝利します。そして一気に富岡城まで攻めて行きました。ちょうど(写真⑦)に見えるあたり(本渡市広瀬)が激戦地だったようです。
本渡城の本丸とされる場所には、現在「天草キリシタン館」(写真①②)が建てられていて、天草島原の乱の内容が時系列でとても詳しく解説されています。ここには血染めの天草四郎陣中旗(ここが四郎のいる本陣である事を示す旗)も保管されています(撮影不可)。また乱の後に入った代官の鈴木重成が建立し(幕府軍・一揆軍)両者分け隔てなく弔ったとされる千人塚(写真⑤)や、四郎のいいなづけであったとされる「路香」を弔った「てまり塚」(写真⑥)もありました。ぜひ天草へ来られた時は、天草キリシタン館は見学してほしい場所だと思います。
午後に、本渡バスセンターから富岡港行のバスに乗り、富岡港のそばにある「ホテル四季彩館」に宿泊しました(写真⑧)。ここ富岡で贅沢をした頼山陽に習い、私も奮発して平目のお造りとアワビの踊り食いを注文しました。定年までがんばった自分から自分への御褒美という事で、皆様方お許し願います!(大満足😋天草は本当に魚が美味しいところです!)(写真⑨⑩)。
次は、「富岡城」に登城します。
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