本渡城は戦国時代の有力国人「天草五人衆」の中でも最も有力な天草氏の拠点でした。天正18年(1590)天草種元(ドン・アンドレア)と小西行長・加藤清正の間で戦いが起こり、城内には付近のキリシタンや宣教師も立て籠もったそうです。同じキリシタンと言うことも有り、小西はこの戦いには消極的でしたが加藤清正の攻撃は容赦なく、本渡城は落城し種元は切腹、籠城側は1300人の犠牲を出したそうです。また籠城側の抵抗も激しく、攻め手の加藤側も2000近い兵士が命を落としたとルイス・フロイスの「日本史」に記録されています。
現在は「切支丹殉教公園」となり、「天草キリシタン館」は二の丸跡になるようです。
殉教千人塚は後に起こった天草四郎軍と三宅藤兵衛率いる唐津軍の戦いの犠牲者を合祀したものとされています。城域は思ったより広そうで、今度訪問した際には山の上の出丸なども訪れてみたいと思います。
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