久多良木城は第26代宣化天皇の時代・536年に芦北に国造が置かれ、その警護のために築かれた朝鮮式山城という説があるようです。南北朝の時代には久多良木氏の城となり、戦国期には相良家臣の深水宗方が在城していたとされますが、地元には「寺山さん」の城としての伝承が残っているようです。城址の位置・登城方法は古城盛衰記さんの記事を参考にさせていただいています。
地形図の道と実際の林道は入り口付近で少し位置が異なっています。ここは舗装林道に従って山中にはいっていけば、ほどなく地形図と一致します。ただし、この林道は車での通行は不可です。やがて、崩壊・倒木・土砂崩れが頻発して歩行でさえ通行が困難になります。私はこういった道は慣れているので傘をさしながら通行していますが、時々傘を起たんで乗り越えて行きます。
急カーブを二回過ぎると、城址の箇所にたどり着きます。北側、南側のいずれからもアクセスが可能ですが、私は北側から攻めました。雨で足元が少し滑るので注意して登ります。頂部にたどり着くと郭が広がっており、そこが主郭とされています。主郭は三段の構造になっており、数10センチの高低差を有しています。尾根沿いに南に下って行くと三条の堀切があり、尾根を絶っています。ここの二つ目の堀切から林道に戻ることが出来ます。
主郭はそれなりの広さが有りますが、比較的コンパクトな城址で「朝鮮式山城」としての雰囲気はありません。しかし、各サイトの位置情報や城郭大系に記載されている図から、ここが久多良木城で合っていると思います。
晴れの日であれば城址散策はそれほど苦労は無いと思います。ただ林道の通行には注意が必要です。写真は載せきれてはいませんが、林道の崩れを帰りに裏側から見ると、けっこうヤバい状況になっています。
ちなみに駐車場は良い場所が見当たらなかったので公民館に留めさせていただきました。曜日や天候・時間帯等から、しばらくの間、誰も使わないだろうという判断しました。
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