城に関する説明板はありませんでしたが、古城神社という神社名、奉行所跡とお茶屋跡、堀のような石垣を持つ川と城情緒はかなり味わうことができました。御蔵前の船着場跡も良い雰囲気でした。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2023/07/06 07:06
2022/06/17 07:29
202206遠征(対馬&五島&北部九州)5日目:河尻城 (2022/06/09 訪問)
隈庄城からの転戦です。川尻公会堂駐車場(32.738258、130.680320)に駐車しました。北側に川尻公園と古城神社があります。
今から約810年前、河尻三郎源実明がここに築城し、この地一帯を治めました。
河尻氏は鎌倉時代から室町時代にかけて約230年間、干拓や川尻港を利用しての交易で地域の発展に貢献しました。
戦国時代、河尻氏は肥後守護菊地氏と争って衰退し、菊地氏家臣の隈庄城主甲斐親昌が川尻城を預かっていました。
1588年(天正16年)に加藤清正の所領となり、加悦飛騨守が城代を務めました。
その後、1615年(慶長20年)の一国一城令によって廃城となりました。
古城神社は江戸時代の肥後藩主細川氏により河尻氏の功績を讃えて建立されたそうです。
古城神社に神社由来文が立てられているそうなのですが、見つけられなかった。(鳥居横の標柱かな?)
駐車場所の道路を隔てた南側に「上田休と町奉行所跡の説明板」と「川尻御蔵前の船着場の説明板」があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=上代城に向かいます。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 河尻実明 |
築城年 | 建久元年(1190) |
主な城主 | 河尻氏、甲斐氏、嘉悦氏(加藤氏家臣) |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 熊本県熊本市南区川尻4(古城神社) |