ようらいじょう

用来城

大分県佐伯市


旧国名 : 豊後

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零汰

栂牟礼城 の支城とも (2024/07/19 訪問)

こちらの城跡は北東に向かって突き出しており、3方は一部を除き崖となっています。堀切から最東端の曲輪迄70m程の長さの小規模な城跡です。案内板では栂牟礼城 の支城と書いていますが直線距離で12・3km程離れています。ちょっと遠いですよね。

古城盛衰記さんの情報により表示板より西へ100m強進んだ擁壁の裏から直登しました。ここには赤テープがぶら下げてあります。どうやらこちらが正規のルートみたいです。樹木の幹を手掛けに登らざるを得なく完全に直登だったのですが。

尾根に到着すると2か所の堀切が有ります。外部側は浅くギリギリ堀切と呼べる感じ、内部側はしっかりとした堀切が入っています。縄張り図には5段の曲輪と有ります。主郭は5x10程度の平滑部、そして北側に一部土塁があり、主郭脇の腰曲輪も平滑になっていますが、最東端の曲輪迄は全体的に自然地形で緩やかに下がっているように見受けられました。その他の主だった遺構は目に付きませんでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 天正年間(1573〜1592)?
主な城主 佐伯氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 市史跡(用来城趾)
再建造物 説明板
住所 大分県佐伯市直川仁田原字用来
問い合わせ先 佐伯市教育委員会文化振興課文化財係
問い合わせ先電話番号 0972-22-4234