海津城からの転戦です。城島天満宮鳥居手前の空スペース(33.257211、130.428362)に駐車しました。
1583年(天正11年)西牟田家周によって築かれました。 西牟田家周は大友氏に属して生津城主でしたが、大友氏が耳川合戦で大敗した後、筑後に侵攻した龍造寺隆信に降り、城島城を築いて移りました。
1586年(天正14年)島津氏の勢力が北上した際に攻められ落城。西牟田氏は城を捨てて肥前へ逃れました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐の後は、筑前国立花山城主であった立花宗茂が柳河城へ転封、その支城として重臣の薦野三河守増時が薦野城から城島4,000石を賜り城主となりました。
関ヶ原合戦で立花宗茂は西軍に属して改易となり、代わって筑後に入部した田中吉政は家臣の宮川讃岐を置きました。
城島小学校の北西側に城島天満宮があり、その境内に城島城の石碑と説明碑があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=生津城に向かいます。
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