龍造寺家に属していた城主西牟田家親と西牟田家和兄弟が、沖田畷の戦いの後、大友氏より派遣された立花氏等の軍勢を撃退したことで知られる城址です。最終的には島津氏によって落とされました。城島天満宮の鳥居と山門の間に石碑と説明板があります。
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2024/10/27 14:20
2024/07/22 06:54
2022/06/15 08:45
202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:城島城 (2022/06/08 訪問)
海津城からの転戦です。城島天満宮鳥居手前の空スペース(33.257211、130.428362)に駐車しました。
1583年(天正11年)西牟田家周によって築かれました。 西牟田家周は大友氏に属して生津城主でしたが、大友氏が耳川合戦で大敗した後、筑後に侵攻した龍造寺隆信に降り、城島城を築いて移りました。
1586年(天正14年)島津氏の勢力が北上した際に攻められ落城。西牟田氏は城を捨てて肥前へ逃れました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐の後は、筑前国立花山城主であった立花宗茂が柳河城へ転封、その支城として重臣の薦野三河守増時が薦野城から城島4,000石を賜り城主となりました。
関ヶ原合戦で立花宗茂は西軍に属して改易となり、代わって筑後に入部した田中吉政は家臣の宮川讃岐を置きました。
城島小学校の北西側に城島天満宮があり、その境内に城島城の石碑と説明碑があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=生津城に向かいます。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 西牟田家周 |
築城年 | 天正11年(1583) |
主な城主 | 西牟田氏、薦野増時(立花氏家臣)、宮川氏(田中氏家臣) |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 横堀、石垣 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福岡県久留米市城島町城島 |