くろせじょう

黒瀬城

愛媛県西予市


旧国名 : 伊予

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一の郭の横堀(二の郭まで延びています)
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りあそーる

卯之町 (2022/09/15 訪問)

近くの街並み保存区域の卯之町と歴史博物館は行った方がよい!博物館の中世の邸宅の展示や昭和初期の街並みは圧巻!
黒瀬城は運動公園の駐車場から登ります。フィールドも往時は城内だったようで公園全体と山々で黒瀬城なんでしょうなあ。
西園寺の勢力がよくわかる城跡です。井戸が多い。隣に岡城もあります。車がある人は足を延ばして法華津峠がおすすめです。絶景!!

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:黒瀬城 (2022/07/24 訪問)

河後森城からの転戦です。宇和運動公園(33.358151、132.509553)に駐車し、登山道入口/案内板付近(33.358381、132.5088)から攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年~1555年)頃に西園寺実充によって築かれたと云われています。
西園寺氏ははじめ松葉城を本城としていましたが、豊後の大友氏や土佐の一条氏に備えるために黒瀬城を築いて居城を移したそうです。
1584年(天正12年)実充の跡を継いだ西園寺公広のとき長宗我部氏に降伏しました。
公広は豊臣秀吉による四国征伐の後、伊予一国を与えられた小早川隆景の時代は在城を許されていたそうですが、その後宇和地方の領主として大洲城へ入った戸田勝隆によって下城を命ぜられ、翌年謀殺されました。

一の郭に鉄塔、城址の東端(曲輪VIII?)に東屋がありました。
遺構としては土塁、堀切、横堀、竪堀、井戸跡を確認しました。
黒瀬城の西側に岡城がありますが、時間の都合で攻城していません。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=法華津城に向かいます。

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奥まで行くと (2018/12/29 訪問)

 卯之町駅より徒歩にて登城しました。北登り口と書いてある標識のある所から登っています。比較的整備されていて歩きやすかった。土塁、堀切、井戸跡などが残っています。二郭の井戸は標識は一つでしたが2つあるようです。峯続きの岡城まで行っていきました。岡城に土塁などが残り、その奥には二重堀切を見ることができます。

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todo94

西園寺氏 (2013/02/16 訪問)

運動公園の駐車場に車を駐めて登城開始。三滝城よりは斜度も距離もある。街中の山城は麓から登っていかなくてはならないので中々侮れない。黒瀬城は西園寺氏が松葉城から移った城で堀切が明瞭に残っている。長曾我部元親の四国統一の過程で落城した。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 西園寺実充
築城年 天文15年(1546)
主な城主 西園寺氏、岩城少右衛門
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
住所 愛媛県西予市宇和町卯之町3-755