さくらおじょう

桜尾城

広島県廿日市市

別名 : 東山城
旧国名 : 安芸

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんしんちゃん

洞雲寺には桜尾城ゆかりの人物の墓がある。 (2020/01/05 訪問)

桜尾城は宅地化が進み主郭が桂公園として整備されています。厳島神社の神職
周防前司(藤原)親実が嘉禎元年(1235)安芸国の守護となり代々、桜尾城を
拠点としていたものと思われます。後に神主家が断絶になり、大永3年(1523)
友田上野介興藤が大内氏に反旗を翻し桜尾城に入りますが二の丸まで攻め込まれ
大内氏に臣従することで講和が成立しますが、天文10年(1541)尼子氏が吉田郡山城を
攻撃したのに呼応して、再び大内氏に反旗を翻します。4月5日には桜尾城は落城し
上野介は切腹したとのことです。廿日市市の洞雲寺には桜尾城ゆかりの人物の墓があり
藤原興藤、毛利氏の城代を務めた桂元澄、後に城主となった穂田元清(毛利元就4男)
夫妻の墓や陶晴賢の首塚などがあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

織田晃司

♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには〜 (2013/08/04 訪問)

今日のカープは勝ち勝ち勝ち勝ち

対岸の宮島・厳島神社の神主が城主を務めた桜尾城。
後に毛利氏家臣・桂元澄か城主に
子孫の桂太郎が山ごと買取り桂公園に

+ 続きを読む

桂公園 (2022/04/29 訪問)

厳島合戦のときに桂元澄が守っていた城ですが、現在は桂公園となっています。遺構はありません。雨が激しく降ってきたので早々に退散しました。

+ 続きを読む

カルビン

篠尾城と洞雲寺もセットで (2016/07/24 訪問)

金曜日に振替休を頂き、3連休を利用して西国に史跡散策旅行に行った時の事。

最終日の日曜日、広島駅の近くにあるビジネスホテルにて朝起きてすぐに腰に猛烈な痛みを発症(痛)
脂汗かきながら予定通り宮島観光(←はよ帰れよw)した足で、広島に戻る途中で廿日市駅に立ち寄って、桜尾城・篠尾城・洞雲寺を見学致しました。

桜尾城は遺構満載・・・って訳でも無かったですし(竪土塁、切岸と思われる地形は見られた)、篠尾城はお城よりその場所・廿日市天満宮の方に目を奪われる場所で、双方ともお城としてはそれ程のものではありません。
どちらもそこがお城である証明(城碑・標柱)はあるので、近くに来た際に立ち寄る程度で宜しいかと。

個人的にも廿日市駅で降りたのは洞雲寺を訪問する事がメインでしたので。

こちらには毛利元就と雌雄を決したあの陶晴賢、その晴賢を倒す立役者となった桂元澄夫妻、そして毛利元就四男・穂井田元清夫妻のお墓があります。
戦国時代に興味ある方にはたまらない場所かと思いますので、廿日市駅に行かれたらこの3ヶ所をセット訪問をオススメします。

ま、当時はそんな余裕全く無かった訳で・・・
そのくせ広島駅に戻って広島城見学し、やっと帰るという(←いいから帰れよw)


あ、結局腰の激痛は帰りの新幹線内で、腰に冷凍ペットボトルを当ててたらようやく治まりましたが・・・次の日に病院行って検査したら・・・原因は尿管結石でした(汗)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 複郭式海城
築城主 藤原親実
築城年 承久3年(1221)
主な城主 藤原氏、友田興藤、桂元澄(毛利氏家臣)、穂井田元清(毛利氏家臣)
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(桜尾城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県廿日市市桜尾本町
問い合わせ先 廿日市市教育部文化スポーツ課
問い合わせ先電話番号 0829-30-9205