桜尾城は宅地化が進み主郭が桂公園として整備されています。厳島神社の神職
周防前司(藤原)親実が嘉禎元年(1235)安芸国の守護となり代々、桜尾城を
拠点としていたものと思われます。後に神主家が断絶になり、大永3年(1523)
友田上野介興藤が大内氏に反旗を翻し桜尾城に入りますが二の丸まで攻め込まれ
大内氏に臣従することで講和が成立しますが、天文10年(1541)尼子氏が吉田郡山城を
攻撃したのに呼応して、再び大内氏に反旗を翻します。4月5日には桜尾城は落城し
上野介は切腹したとのことです。廿日市市の洞雲寺には桜尾城ゆかりの人物の墓があり
藤原興藤、毛利氏の城代を務めた桂元澄、後に城主となった穂田元清(毛利元就4男)
夫妻の墓や陶晴賢の首塚などがあります。
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