天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
永町山城から車で45分くらいで、高松山登山口上原コース(34.525970、132.526396)に着き、入口付近に駐車しました。
1221年(承久3年)「承久の乱」の戦功により安芸に入った当時の熊谷氏は当初三入荘北端に伊勢ヶ坪城を構え、居城としました。
しかし、戦乱の世になるにつれ、平坦な岡にある伊勢ヶ坪城の防備に不安を感じ、当主の熊谷4代直経は急峻な高松山に居城を構えました。これが三入高松城の始まりです。
しかし、応永年間(1394年-1428年)に築城されたとする説などもあり、正確な築城年月は不明のようです。
戦国時代当初、熊谷氏は安芸武田氏に臣従していましたが、熊谷信直の代になり領土問題などの争議が起こったため武田氏から離反しました。
1533年(天文2年)信直は毛利元就と和議を結び、以後毛利氏の重臣となりました。
同年、熊谷氏の旧主・安芸武田氏の武田光和による攻撃を受けたが落城せず、その防御能力の高さを見せ付けました。
1591年(天正19年)毛利輝元が広島城を築いて移ると、熊谷氏13代高直も城下に移住しました。
1600年(慶長5年)「関ヶ原の戦い」の後に熊谷氏が毛利氏の防長移封に従い安芸国を離れるまで、三入高松城は熊谷氏の居城でした。
1615年(元和元年)の一国一城令で破却され、多くの遺構が消滅しました。
登山口はいくつかあるようですが、本丸までの距離が短そうな上原コースに向かいました。登り口付近に駐車スペースがあります。
登城口の写真を撮って撤退しました。
熊に注意の写真を撮って妻にLINEで送ったら、注意しようがないだろうと突っ込んでいました。
城の北麓に熊谷高直が築いたとされる熊谷氏居館の「土居屋敷」跡にはこの後、向かいます。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=土居屋敷に向かいました。
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