永正12年(1515年)武田元繁が数か月にわたり攻城したが落ちなかったと伝わる城です。「武田数ヶ月攻むるといえども、銘城なるが故に、遂に落ちず」(『房顕覚書』)と記載されています。城址は本丸と二の丸を中心に東西南北に郭を配置している縄張りで、東郭や北郭を下った尾根には堀切も見られます。本丸の二の丸の間の堀切も含め堀切は浅くなっていました。整備された散策しやすい城址です。
己斐東小学校へ上がる階段と並行して「小茶臼山登山口」と書かれた看板のある階段が登城口です。整備された登城路ですが、最初は意外と階段が続いて閉口しました。
この日は朝から雨でしたが、この城を散策する少し前には上がってくれました。雨に濡れた堆積した落ち葉に注意して散策しました。
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