こいじょう

己斐城

広島県広島市

別名 : 己斐新城、平原城、茶臼山城
旧国名 : 安芸

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①本丸
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征27日目:己斐城 (2026/06/06 訪問)

広電西広島駅から徒歩30分弱で、小茶臼山登山口(34.406191、132.424413)に着きました。

築城年代は定かではないですが、己斐氏によって築かれた城です。己斐城はに平原城とも呼ばれ、己斐新城が平原城、己斐古城が岩原城、詰城が立石城でありいずれも己斐氏の居城です。
己斐氏は厳島神領衆の出身で動静ははっきりしませんが、 1515年(永正12年)銀山城主武田元繁に攻められるが落城しなかった。時の城主己斐豊後守師道入道宗端は有田城合戦で討死しました。
宗端の子、己斐豊後守直之の時、1554年(天文23年)折敷畑の戦いの前に草津城などと共に毛利元就に攻撃され、落城しました(防芸引分)。
直之は、翌年の厳島の戦いで毛利方の宮尾城の城将として戦い、合戦後に隠居しました。その後、直之の弟、己斐利右衛門興員が城主となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦後に毛利氏が防長2ヶ国に転封になるとともに廃城となりました。

城址は整備されています。
また曲輪などの遺構もきれいに残っています。己斐東小学校の脇にある石段から登城することができます。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=己斐古城へ徒歩で向かいました。

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小茶臼山 (2022/04/29 訪問)

 永正12年(1515年)武田元繁が数か月にわたり攻城したが落ちなかったと伝わる城です。「武田数ヶ月攻むるといえども、銘城なるが故に、遂に落ちず」(『房顕覚書』)と記載されています。城址は本丸と二の丸を中心に東西南北に郭を配置している縄張りで、東郭や北郭を下った尾根には堀切も見られます。本丸の二の丸の間の堀切も含め堀切は浅くなっていました。整備された散策しやすい城址です。
己斐東小学校へ上がる階段と並行して「小茶臼山登山口」と書かれた看板のある階段が登城口です。整備された登城路ですが、最初は意外と階段が続いて閉口しました。
この日は朝から雨でしたが、この城を散策する少し前には上がってくれました。雨に濡れた堆積した落ち葉に注意して散策しました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 己斐氏
築城年 不明
主な城主 己斐氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、堀切、竪堀
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県広島市西区己斐町4
問い合わせ先 広島県教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 082-513-5021