さとうかなやまじょう

佐東銀山城

広島県広島市

別名 : 銀山城、金山城
旧国名 : 安芸

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征25日目:佐東銀山城 (2026/06/04 訪問)

八木城から車で35分くらいで、武田山憩の森駐車場(34.448154、132.451491)に着きました。

1221年(承久3年)承久の乱の後、恩賞として安芸国佐東郡を得た甲斐国守護・武田信光は、この武田山の麓に守護所を建て、安芸国佐東郡の経営に乗り出します。
1274年(文永11年)武田信時は元軍に備えるため、安芸国に下向し、その後、佐東銀山城が築城されます。
1299年(正安元年)桜尾城主平員家の攻撃により落城し、この後、現在の城域に築城、移転しました。
1517年永正14年)「有田中井手の戦い」で武田元繁が毛利元就の軍勢に敗れて討ち死にすると、安芸武田氏は衰退します。
1541年(天文10年)大内氏の命を受けた毛利元就に攻められた武田信実は、佐東銀山城を放棄して出雲国へ逃亡し、安芸武田氏は滅亡しました。
同年1541年(天文10年)大内義隆が佐東銀山城に冷泉隆豊を城番にして管理します。
1554年(天文23年)には「厳島の戦い」の前哨戦として元就は大内氏より佐東銀山城を奪取します。この後、城番は福井元信が務めました。
1591年(天正19年)広島城が、一応の完成を見ます。
1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いの後、毛利氏の防長移封に伴い、佐東銀山城は廃城となりました。

武田山憩いの森に駐車場がありますが、そこまでの道は住宅街のとても狭い道です。曲がり角で何度もタイヤが擦りそうになりました。
雨が降っているので山登りはせず、駐車場で撤退です。下りも狭い道を通るのが憂鬱です。レンタカーが軽自動車でよかった。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=水晶城に向かいました。

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織田晃司

武田山憩の森から登城 (2021/06/11 訪問)

登城というより登山。
軽装備で行くのはやめましょう。

自然の巨石を利用した城。
頂上からの広島市街の眺めも含め登った甲斐があります。

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零汰

山頂には大きな自然石が点在しています。 (2019/11/03 訪問)

19年秋、山口・広島攻城の際に訪れた城郭です。標高410.5m、登山口の武田山憩の森駐車場から高低差250m程度、大きく道を逸れた為、2時間以上かかりました。

登山口から遊歩道を歩き始め、馬返しと呼ばれる曲輪を通り過ぎて暫く道なりに歩いて行くと自然石を配置した御門跡に辿り着きます。ここが大手口でその先に千畳敷と呼ばれる城跡ですが思いの外狭く感じました。

その先を進むと大きな自然石が各所にあり、中には階段状に加工したりとしています。正面の堀切道を登りきり分岐、東側に進むと山頂で、御守岩台・館跡と呼ばれる場所です。自然石の間を進みながら出丸迄進み散策、引き返し今度は西側へ進みました。

遊歩道は観音堂・弓場跡・上高間・下高間・馬場跡・見張台の順で見て歩く事が出来ます。見張り台を過ぎると遊歩道が分岐しているのを私は見逃し、大きく迂回してしまい銀山城登山口に降りてしまいました。間違えると武田山憩の森駐車場迄一般道を40分程かけて戻って行くようになります。



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tsuchinari

【風景×城】安芸武田氏の山城 (2020/04/22 訪問)

武田信玄が有名な武田氏と親戚にあたる安芸武田氏が居城としていた佐東銀山城。安芸国の守護として毛利氏に攻められるまで栄えていました。
その名も武田山という標高400メートルほどの山の中腹から山頂にかけて築かれています。意外と急な斜面が多く登るのに苦労しました。特に山頂付近になると巨岩が多く、築城にも使われたと考えられます。
山頂から眺められる広島市の風景はまさに絶景でした。自らが守る国を一望できるので居城として最適だったのであろうと。
これは銀山城に限った話ではないですが、山城は木を伐採して往時を是非再現してもらいたいと思います。森林の中だと外から見たらただの山と見分けがつかない・・・できるだけ往時に近い復元がなされた山城がこれから増えていってほしいと思います。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 武田信宗
築城年 鎌倉時代
主な城主 安芸武田氏、毛利氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、堀切、井戸
指定文化財 県史跡(銀山城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 広島県広島市安佐南区祇園町他
問い合わせ先 広島市市民局文化スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 082-504-2501