2019年9月にトーダイさんが登城しようとされ、城域近くまで車で行くものの、車1台がやっとの細い山道で駐車場所なし、夕暮れが迫り藪蚊に襲われ断念したとの由。
この道は、矢倉城から伸びる尾根が鞍部になったところを越え、南からの登城口と北からの登城口を繋ぎます。矢倉城には、峠の最高部から尾根をたどって行きます。トーダイさんのレポートを参考に山道の初めのほうの少し道幅があるところに駐車して、歩いていきました。
本郭には、切岸、土塁がしっかり残ります。一段下の郭には、井戸跡も。ただし、夏場は藪と化すと思われます。
この地域の最大の城であり、三村氏の本拠にもなった、備中松山城は、高梁川東側の山地に築かれていますが、その山地の東側には開けた谷があり、さらにその谷の東の山に矢倉城があります。備中松山城には山中を行き、裏手の東側からたどり着けるでしょう。三村氏が毛利氏に亡ぼされた備中兵乱では、矢倉城の守備兵は、落城後、備中松山城に引いたとあります。
岡山県HPには、「矢倉城は、車で頂上近くまで行ける」と紹介されています。間違いではないものの、いかがなものか。
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