かたおかじょう

片岡城

奈良県北葛城郡

別名 : 下牧城
旧国名 : 大和

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片岡城跡の説明板と上牧町埋蔵文化財之図
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イオ

散策範囲は限定的 (2025/03/23 訪問)

詳細は不明ながら、室町中期に興福寺一乗院衆徒の片岡国春が馬見丘陵の北端に築いた城で、戦国期には筒井氏に攻め落とされて筒井氏に従い、後には松永久秀に攻め落とされて松永方の城となり、信貴山城の戦いに先立っては明智光秀・筒井順慶らに攻められて激戦の末に落城。そのまま廃城となったようです。

片岡城は城山と呼ばれる丘陵頂部の主郭部と、東、南、北にのびる尾根上に設けられた出曲輪群からなり、片岡期には主郭部のみだったのが、松永期に周辺の尾根にまで拡張されたものと考えられるようです。拡張された出曲輪群を含めればなかなかの広さがありますが、先達方の投稿にあるように、私有地のため整備された登城道と主郭以外は散策できません。もっとも、出曲輪群は藪化していて、そうでなくても散策は困難でしょうけど…。

駐車場は無く、周辺に路駐できそうな場所も見付けられなかったので、ドラッグストアに駐めさせてもらって(買い物もして)登城開始。東側から随所にある案内表示に従って進むと、道脇に片岡城跡の説明板(CG再現スポットも)と上牧町埋蔵文化財之図が立てられています。この説明板あたりから北東に東尾根の出曲輪が展開しているようです。説明板の少し手前(東側)にある祠の背後に見えるのが東出曲輪南端の土塁でしょうか。説明板の脇から北側を見ると、主郭部の東側が一段低くなっているのは松永期に改修された大堀切の跡なんだとか。現況は畑になっているため、言われてみれば…くらいの印象ですが、登城道をはさんで南側に続いている竪堀は明瞭に遺っていました。

説明板から主郭部へ。登城道の分岐から丘陵に向かうと、南に突き出た曲輪の麓を通る間ずっと横矢にさらされていることを感じます。主郭西下の曲輪からは葛下川側の眺望が開けているようですが、登城道を外れたことになるのか判断がつかず諦めました。主郭への階段を上るとよく整備された大きな曲輪が広がっています。片岡城CG再現スポットも設定されていました。主郭の北部は笹藪に覆われていますが、道のように笹藪を刈りこんだ箇所があり、この先に東出曲輪との間の堀切や北尾根の出曲輪群があるはず…と思うと誘惑に駆られましたが、認められた範囲を超過するのは間違いなさそうなので自重しました…。

分岐まで戻って、登城道から南尾根の出曲輪群を見ても藪に沈んでしまっているようです。登城道を外れずに見ることができるのはこれくらいなので、馬出跡ともいわれる教円寺に寄り道しつつ来た道を引き返しました。散策範囲は限定的で消化不良気味ではありますが、主郭だけでも散策できることに感謝すべきなんでしょうね。
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:片岡城 (2024/09/28 訪問)

下牧南口バス停から徒歩10分くらいで、説明板前(34.576370、135.708824)に着きました。

片岡城はこの地域の国衆、片岡国春によって築かれた城です。1569年(永禄12年)、城主が片岡春利のときに松永久秀に攻められ城を奪われ、このときに城は改修されたようです。
その後、1577年(天正5年)に久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀によって攻められ落城しました。

見学路が整備され、主郭に入れるようになりました。 
案内板を正面に見て左側に30mほど下った所に登城口があります。 2分ほどで主郭に着きます。 その道以外は私有地のため、立ち入らないように気をつけてください。
現在城址には、空掘を確認することができます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高田城を目指す為、畠田駅から電車で高田駅に向かいました。

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しんちゃん

昔はまあまあ広かったようで (2024/02/23 訪問)

片岡城は比高48mの丘陵上に築かれており、主郭の東西にも曲輪が配されています。周辺は私有地なので訪問が出来る場所は限られますが、主郭から周辺を確認するだけでも概要を把握することは出来ます。主郭の南側の道路を挟んだ小丘も曲輪の跡とされ、主郭から南東にかけて空堀が有ったとされていますが、今は畑地になっています。南側の曲輪にも堀切が付いているようですが、推奨ルートに入っていなかったので訪問していません。少し惜しかったかな‥。
片岡城は片岡氏の城とされ、明応7年(1498)には越智方に属したため、畠山尚順配下の筒井氏に攻められ、当主・片岡利持は当城にて自害したとされています。その後、片岡氏は再興し筒井氏に属しますが永禄12年(1569)に松永久秀に攻められ落城し、松永氏配下の海老名氏が入城したそうです。天正5年(1577)に松永久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀らの征伐軍によって攻められ、10月1日に落城したとのことです。

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片岡氏の城 (2023/10/05 訪問)

 片岡氏によって築かれたとされる城です。戦国時代には松永久秀に攻め落とされています。奈良中世城郭辞典(日本の城郭シリーズ17)によると4つの曲輪群で構成されているということでした。ただ城址は私有地とのことでしたので案内のあった所を散策させていただきました。

 JR畠田駅より徒歩10分くらいで行くことができます。

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城郭情報

分類・構造 丘城
天守構造 不明
築城主 片岡氏
築城年 室町時代
主な改修者 松永久秀
主な城主 片岡氏、松永久秀方
廃城年 16世紀後期
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 奈良県北葛城郡上牧町下牧
問い合わせ先 上牧町役場
問い合わせ先電話番号 0745-76-1001