かたおかじょう

片岡城

奈良県北葛城郡

別名 : 下牧城
旧国名 : 大和

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①空堀
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:片岡城 (2024/09/28 訪問)

下牧南口バス停から徒歩10分くらいで、説明板前(34.576370、135.708824)に着きました。

片岡城はこの地域の国衆、片岡国春によって築かれた城です。1569年(永禄12年)、城主が片岡春利のときに松永久秀に攻められ城を奪われ、このときに城は改修されたようです。
その後、1577年(天正5年)に久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀によって攻められ落城しました。

見学路が整備され、主郭に入れるようになりました。 
案内板を正面に見て左側に30mほど下った所に登城口があります。 2分ほどで主郭に着きます。 その道以外は私有地のため、立ち入らないように気をつけてください。
現在城址には、空掘を確認することができます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高田城を目指す為、畠田駅から電車で高田駅に向かいました。

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しんちゃん

昔はまあまあ広かったようで (2024/02/23 訪問)

片岡城は比高48mの丘陵上に築かれており、主郭の東西にも曲輪が配されています。周辺は私有地なので訪問が出来る場所は限られますが、主郭から周辺を確認するだけでも概要を把握することは出来ます。主郭の南側の道路を挟んだ小丘も曲輪の跡とされ、主郭から南東にかけて空堀が有ったとされていますが、今は畑地になっています。南側の曲輪にも堀切が付いているようですが、推奨ルートに入っていなかったので訪問していません。少し惜しかったかな‥。
片岡城は片岡氏の城とされ、明応7年(1498)には越智方に属したため、畠山尚順配下の筒井氏に攻められ、当主・片岡利持は当城にて自害したとされています。その後、片岡氏は再興し筒井氏に属しますが永禄12年(1569)に松永久秀に攻められ落城し、松永氏配下の海老名氏が入城したそうです。天正5年(1577)に松永久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀らの征伐軍によって攻められ、10月1日に落城したとのことです。

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片岡氏の城 (2023/10/05 訪問)

 片岡氏によって築かれたとされる城です。戦国時代には松永久秀に攻め落とされています。奈良中世城郭辞典(日本の城郭シリーズ17)によると4つの曲輪群で構成されているということでした。ただ城址は私有地とのことでしたので案内のあった所を散策させていただきました。

 JR畠田駅より徒歩10分くらいで行くことができます。

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ぴーかる

片岡城 (2022/03/04 訪問)

【片岡城】
<駐車場他>駐車場はなし。JR畠田駅前のコインPに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>城跡説明板によると片岡城は16世紀初頭に興福寺一乗院方の片岡氏によって築城されました。1569年に松永久秀によって攻め落とされ、その後は松永氏の城となります。1577年、松永久秀の謀反により筒井順慶・明智光秀に攻められ落城します。廃城年は不明です。
 Googleマップの城跡場所には現地説明板があります。現地の案内に沿って畑のあぜ道から城跡に入り込みます。主郭と西側にかけての曲輪は整備されて見やすいですが、主郭の北側とその下段の曲輪は未整備でかなり鬱蒼としていました。西側の眺望が良くて城が葛下川を天然の堀にしている様子がよく分かります。西側に向けて幟が立てられていて、葛下川側から登城したので麓から見上げ、上から見下ろすことができて正解でした。

<満足度>◆◆◇

<追記>あさん城びと滋賀県コンプリートおめでとうございます!私、未熟の頃はあさんの近畿の山城投稿を指針にして、現在は勝手ながら初投稿を競い合う良きライバル視をしております。滋賀県の残り城は15もあります。まだまだです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
天守構造 不明
築城主 片岡氏
築城年 室町時代
主な改修者 松永久秀
主な城主 片岡氏、松永久秀方
廃城年 16世紀後期
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 奈良県北葛城郡上牧町下牧
問い合わせ先 上牧町役場
問い合わせ先電話番号 0745-76-1001