奈良交通の南古市バス停から徒歩3~4分で、東市小グランド南西口(34.655170、135.841001)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、古市氏によって築かれたと云われています。
古市氏は大乗院方衆徒で筒井氏と並んで大きな勢力を持った国人で、1446年(文安3年)古市胤栄の頃には筒井氏と争っています。
応仁の乱では古市氏は畠山義就(西軍)方となって戦い、古市澄胤の頃には奈良検断職となりました。
しかし、1497年(明応6年)筒井氏が勢力を盛り返すと、古市澄胤は城に火を放って山中へ退いています。
1508年(永正5年)には細川澄元の家臣赤沢長経とともに河内国高屋城主の畠山尚順を攻めましたが敗れ自害して果てたそうです。
その後、古市氏の勢力は衰え、古市公胤は鉢伏城を本拠として勢力の回復を目指したが叶わず、筒井氏のちに松永氏に従い松永久秀が滅亡すると古市氏も滅亡したそうです。
現在、東市小学校となっている付近が古市城の本丸跡と云われ、北に二ノ丸があったと推測されているようです。
小学校の体育の授業で生徒さんがグランドにいた為、不審者に間違われないように早々に撤退しました。その為、南西端(グラウンドの南端)にある石碑は確認できませんでした。
攻城時間は2~3分くらいでした。次の攻城先=窪之庄城を目指す為、奈良交通の南古市バス停からバスで山村町バス停に向かいました。
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