ふるいちじょう

古市城

奈良県奈良市


旧国名 : 大和

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①東市小学校校門
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:古市城 (2024/09/30 訪問)

奈良交通の南古市バス停から徒歩3~4分で、東市小グランド南西口(34.655170、135.841001)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、古市氏によって築かれたと云われています。
古市氏は大乗院方衆徒で筒井氏と並んで大きな勢力を持った国人で、1446年(文安3年)古市胤栄の頃には筒井氏と争っています。
応仁の乱では古市氏は畠山義就(西軍)方となって戦い、古市澄胤の頃には奈良検断職となりました。
しかし、1497年(明応6年)筒井氏が勢力を盛り返すと、古市澄胤は城に火を放って山中へ退いています。
1508年(永正5年)には細川澄元の家臣赤沢長経とともに河内国高屋城主の畠山尚順を攻めましたが敗れ自害して果てたそうです。
その後、古市氏の勢力は衰え、古市公胤は鉢伏城を本拠として勢力の回復を目指したが叶わず、筒井氏のちに松永氏に従い松永久秀が滅亡すると古市氏も滅亡したそうです。

現在、東市小学校となっている付近が古市城の本丸跡と云われ、北に二ノ丸があったと推測されているようです。
小学校の体育の授業で生徒さんがグランドにいた為、不審者に間違われないように早々に撤退しました。その為、南西端(グラウンドの南端)にある石碑は確認できませんでした。
攻城時間は2~3分くらいでした。次の攻城先=窪之庄城を目指す為、奈良交通の南古市バス停からバスで山村町バス停に向かいました。

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東市小学校 (2024/06/29 訪問)

 大和の有力な国人であった古市氏の城です。奈良市立東市小学校付近が主郭であったと伝わっています。グランドの片隅に城址碑がありました。フェンス越しに写真を撮って退散しました。

 近鉄奈良駅よりバスに乗り南古市バス停下車。近くの坂を上ると小学校ですが、城址碑を撮影するために土手を少し登りました。

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しんちゃん

主要部への坂道はなかなかキツめ。 (2023/07/16 訪問)

古市城は東市小学校が主な城跡で南側の堀を隔てた丘陵にある
高山城も城の一部とされています。
室町時代に興福寺大乗院の坊人であった古市氏の城とされています。
主要部である小学校は周囲に対して明確な高台に築かれています。
そのグラウンドの端っこ、ちょうど坂道を登ってすぐの端っこに
フェンスで囲まれるように城址碑があります。
城跡の南側にある池は堀の雰囲気があり、その南側の
高山城には堀や郭らしきものがあります。
かつては西側の環濠集落も含め総構を形成していたと
あるので、なかなかの城域を持っていたものと思われます。

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ぴーかる

古市城 (2023/06/17 訪問)

【古市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅6城目。古市城の築城は定かではありませんが、室町時代の初期にはあったようです。築城者の古市氏は興福寺の衆徒で筒井氏と衆徒の棟梁の座を争います。1497年に筒井勢によって攻められ落城します。その後2回ほど再建されますが、1543年に筒井順慶の祖父筒井順興に攻められた際に古市氏によって城は焼かれます。
 現在城跡は小学校になっています。校門前まで行きまして周囲を散策しました。台地状になっていて南側の切岸が城跡の痕跡になっているように感じました。更に南の古市高山城も少し散策しました。主に竹藪になってしまっていますが、堀切と曲輪は明瞭に残っていました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 古市氏
築城年 室町時代
主な改修者 古市澄胤
主な城主 古市氏
廃城年 天文12年(1543)
遺構 曲輪、横堀跡
再建造物 石碑、説明板
住所 奈良県奈良市古市町他