おおかわらしじょう

大河原氏城

滋賀県甲賀市


旧国名 : 近江

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①入口
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)17日目:大河原氏城 (2024/10/08 訪問)

高尾城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)から徒歩10分ちょっとで、民家左手登り口(34.958821、136.336297)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、長享年間(1487年〜1489年)に大河原源太によって築かれたと云われています。
大河原家・黒川家ともに、近江守護職六角氏(観音寺城主)との繋がりは深く長享・明応の乱(1487~1501)に戦功をたてました。
六角氏が9代将軍足利義尚に攻められた長享の乱 「鈎の陣の戦い」に参戦しての勲功により感状を与えられた甲賀二十一家の一で両家ともに「地域連合惣」の北山九家の一です。
大河原源太が鮎川を、 黒川久内が黒川・黒滝の地を領有し以後代々子孫が世襲していますが、六角氏が衰退により甲賀五十三家も弱体化していく中、1585年(天正13年)羽柴秀吉によって解体されて共に滅びました。

時間ロス(バス到着遅延&黒川氏城での迷子時間)と高尾城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)で転んでカッパ/ズボン/靴が泥だらけ状態。
このままの状態では、バスにも電車にも乗れないので鮎河口バス停で着替えました。
上記より、大河原氏城攻城の時間がなくなり、遠景の写真を撮って攻城としました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=土山城を目指す為、鮎河口バス停から甲賀コミュニティバスで近江土山バス停に向かいました。

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正面(南)から害獣柵を解錠して登城してください (2020/03/22 訪問)

他のサイトで「地主の上野さん宅に寄って、記帳すると共に害獣柵のかぎを借りてから、登城してください」とあり、上野さん宅を探す。短い坂道を上がっていき道の左手で一番高いところが上野さん宅だった。たまたま庭におられたご主人と目が合い、不審な目で見られたので、「大河原氏城に登りたく、上野さん宅を探している」というと快く対応いただけた。記帳は帰りに上野さん宅にもう一度寄ってから、とのこと。
帰りに寄ると「かつて2回火事があったことがあり、自分の山に人が入ることにたいへん気を使っている」「帰りに寄ってもらうことで、山から出たことを確認するようにしている」とのこと。
名物の土山茶をいただきつつ、大河原氏城の資料をもらい、また、ご自慢の日本刀や家の歴史のお話をうかがえました。
城跡はよく管理された杉林で、遺構もくっきり。本郭虎口脇に石垣の痕跡。

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北西ルートから (2020/01/17 訪問)

 城域は整備され歩きやすい。土塁、横堀、堀切などが残っていて見ごたえがあります。石垣の痕跡らしきものが残っていました。
「YAICHI]さんの投稿を参考に北西の林道方面から登城しました。獣除けのフェンスを開けて舗装された道を行くとカーブの所で未舗装の道路が直進してあります。この道を行くと城の北部に到達します。

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YAICHI

ラクダのような二重土塁 (2019/12/05 訪問)

鮎河には4つの城がありますが大河原氏城もそのひとつ。見所は主郭東にある二重土塁(二重堀切?)でしょうか。祠のある主郭は高土塁と空堀に取り巻かれ北と東に広い副郭を設置しています。北西の林道を歩いて登城しましたが、東からのルートもあるようです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大河原源太
築城年 長享年間(1487〜1491)
主な城主 大河原氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 滋賀県甲賀市土山町鮎河