高尾城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)から徒歩10分ちょっとで、民家左手登り口(34.958821、136.336297)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、長享年間(1487年〜1489年)に大河原源太によって築かれたと云われています。
大河原家・黒川家ともに、近江守護職六角氏(観音寺城主)との繋がりは深く長享・明応の乱(1487~1501)に戦功をたてました。
六角氏が9代将軍足利義尚に攻められた長享の乱 「鈎の陣の戦い」に参戦しての勲功により感状を与えられた甲賀二十一家の一で両家ともに「地域連合惣」の北山九家の一です。
大河原源太が鮎川を、 黒川久内が黒川・黒滝の地を領有し以後代々子孫が世襲していますが、六角氏が衰退により甲賀五十三家も弱体化していく中、1585年(天正13年)羽柴秀吉によって解体されて共に滅びました。
時間ロス(バス到着遅延&黒川氏城での迷子時間)と高尾城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)で転んでカッパ/ズボン/靴が泥だらけ状態。
このままの状態では、バスにも電車にも乗れないので鮎河口バス停で着替えました。
上記より、大河原氏城攻城の時間がなくなり、遠景の写真を撮って攻城としました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=土山城を目指す為、鮎河口バス停から甲賀コミュニティバスで近江土山バス停に向かいました。
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