【摩耶山城】
<駐車場他>掬星台駐車場有料を利用
<交通手段>車
<見所>竪堀・当時のものなら石垣
<感想>攻め取りこぼしていた赤松氏の山城、涼しくなってきたので攻略してきました。摩耶山城は1333年、護良親王の令旨を受け鎌倉幕府討幕の挙兵をした赤松円心が播磨から進軍し六波羅探題勢と戦うために築いた城です。
掬星台駐車場に駐車し掬星台展望台から天上寺跡を通過しハイキングコースを南下・下山しました。城跡は摩耶ケーブル「虹の駅」から西側一帯にあり、狭地(かつての堀切か?)を挟んで東西2つのピークに曲輪が分かれています。東側は展望所となっている曲輪・そこから下段(雑草化している)の曲輪がいくつかと東側ピークにはコンクリートの建造物があり、その傍から大竪堀が1条見受けられます。西側の曲輪群はかつての摩耶花壇跡(宿泊・娯楽施設)で現在は私有地となっていて立入禁止となっています。西側には石垣が多く残り、基壇と一部は施設跡(石垣の石を使用している?)狭地とケーブル駅を降りてすぐ左手に見える石垣などは隙間をコンクリートで埋めているものの、私には当時の石垣(城びと情報にも遺構石垣とあるので)をそのまま補強しているように見えました。戻りもロープウェイ代をけちってハイキングコースを徒歩で登りました。1㎞くらいかなりきつかった。
<満足度>◆◆◇
<周辺観光>掬星台:六甲山展望所と共に神戸の夜景が美しいデートスポットです。20代の頃から数回来たことがあり、昔から城跡があることも知っていましたが赤松氏の城だったとはつゆ知らず。
天上寺跡:摩耶山天上寺は大化二年(646年)孝徳天皇の勅願によりインドの高僧法道仙人によって開創されました。1976年に火災にあい建物のほとんどが焼け落ちましたが山門は残っています。摩耶山城も当時は天上寺を背後の守りとして砦として利用していたかもしれません。
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