まやさんじょう

摩耶山城

兵庫県神戸市

別名 : 摩耶城
旧国名 : 摂津

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東曲輪群主郭
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ぴーかる

摩耶山城 (2022/10/30 訪問)

【摩耶山城】
<駐車場他>掬星台駐車場有料を利用
<交通手段>車

<見所>竪堀・当時のものなら石垣
<感想>攻め取りこぼしていた赤松氏の山城、涼しくなってきたので攻略してきました。摩耶山城は1333年、護良親王の令旨を受け鎌倉幕府討幕の挙兵をした赤松円心が播磨から進軍し六波羅探題勢と戦うために築いた城です。
 掬星台駐車場に駐車し掬星台展望台から天上寺跡を通過しハイキングコースを南下・下山しました。城跡は摩耶ケーブル「虹の駅」から西側一帯にあり、狭地(かつての堀切か?)を挟んで東西2つのピークに曲輪が分かれています。東側は展望所となっている曲輪・そこから下段(雑草化している)の曲輪がいくつかと東側ピークにはコンクリートの建造物があり、その傍から大竪堀が1条見受けられます。西側の曲輪群はかつての摩耶花壇跡(宿泊・娯楽施設)で現在は私有地となっていて立入禁止となっています。西側には石垣が多く残り、基壇と一部は施設跡(石垣の石を使用している?)狭地とケーブル駅を降りてすぐ左手に見える石垣などは隙間をコンクリートで埋めているものの、私には当時の石垣(城びと情報にも遺構石垣とあるので)をそのまま補強しているように見えました。戻りもロープウェイ代をけちってハイキングコースを徒歩で登りました。1㎞くらいかなりきつかった。

<満足度>◆◆◇
<周辺観光>掬星台:六甲山展望所と共に神戸の夜景が美しいデートスポットです。20代の頃から数回来たことがあり、昔から城跡があることも知っていましたが赤松氏の城だったとはつゆ知らず。
天上寺跡:摩耶山天上寺は大化二年(646年)孝徳天皇の勅願によりインドの高僧法道仙人によって開創されました。1976年に火災にあい建物のほとんどが焼け落ちましたが山門は残っています。摩耶山城も当時は天上寺を背後の守りとして砦として利用していたかもしれません。

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くらのり

摩耶山城 (2018/04/07 訪問)

南北朝時代に赤松円心則村によって築かれた。山岳寺院天上寺を背後の砦として摩耶山城を築いたと考えられている。
元弘3年、大塔宮護良親王の令旨を受け、播磨白旗城で鎌倉幕府討伐の挙兵をした赤松則村は、摂津へと進出して摩耶山城で、六波羅探題勢を迎え撃った。
これが太平記にある「摩耶合戦」である。その後の摩耶山城の歴史は定かではないが、戦国時代に城郭として機能していたと考えられる。

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todo94

三大夜景のついでに (2012/02/11 訪問)

て腱を痛めてしまい、下りがつらくてならない。痛みに耐えて山を下り市バスで摩耶山に向かった。ロープウェー虹の駅あたりが摩耶山城なのだそうだが、城の遺構ははっきりとはわからなかった。細い道を辿って西曲輪の主郭にはたどり着けたのではないかと思う。メインの登山道に戻って旧天上寺の仁王門まで足を伸ばしてからロープウェー駅まで戻り、掬星台にのぼった。

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赤松円心

太平記「摩耶合戦」の舞台 (2017/12/29 訪問)

摩耶ケーブルの山頂駅がすでに城内で、城跡は大きく東曲輪と西曲輪に分かれます。遺構は分かりづらいですが、六波羅探題と赤松勢の緒戦がここで展開されたのかと思うと、感慨深いものがあります。
展望スペースがあり、神戸の町が綺麗に見えますし、寺やレジャー施設の廃墟が点在しているので、城跡以外の遺跡巡りなども楽しめます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 赤松則村
築城年 南北朝時代
主な城主 赤松氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀
住所 兵庫県神戸市灘区摩耶山(摩耶史跡公園)
問い合わせ先 神戸市灘区まちづくり課
問い合わせ先電話番号 078-333-3330