金森宗貞は、茂住宗貞とも称し、茂住・和左保の両銀山、森部金山などの開発を行い、飛騨鉱山開発の祖といわれている金森宗貞の館跡です。
金竜寺が跡地で、石塁の一部(積み直されているようですが)が残り石碑と説明板があります。
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2024/11/23 22:37
2024/10/18 19:35
石塁と隅櫓台 (2024/10/13 訪問)
金森宗貞邸は金龍寺の境内に築かれていたとされています。金森宗貞は茂住、和佐保銀山の開祖とされる人物です。元々は越前の商人で糸屋彦次郎宗貞といいましたが金森長近に抜擢され、その功績から「金森」の姓を賜ったとのことです。
屋敷跡の西側は高原川に面する断崖になっており、四方には高さ3mほどの石塁を配し、上に高塀をかけ隅部に櫓が建てられていたようです。
また国道41号の改修に際し、北東側の石塁に変更が加えられたとのことです。
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2023/05/28 05:20
(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:金森宗貞邸 (2023/04/25 訪問)
傘松城からの転戦です。金龍寺駐車場(36.434995、137.276447)に駐車しました。
金森宗貞の屋敷跡と伝えられています。
茂住宗貞は飛騨に入部した金森長近が登用した人物で、鉱山資源の開発に尽力し金森姓を賜り、金森宗貞と名乗ったそうです。
1608年(慶長13年)長近が京都で没したため、自ら家居に火をかけ、越中に移り、さらに能登に赴いたそうです。
金森宗貞の邸宅跡には、現在宗貞の菩提を弔うため、金竜寺が建てられています。
金森宗貞邸は現在の金龍寺の境内で、隅櫓台を持つ石塁が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=土城に向かいます。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 金森宗貞 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 金森氏 |
廃城年 | 慶長12年(1607) |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | 県史跡(金森宗貞邸跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 岐阜県飛騨市神岡町東茂住 |
問い合わせ先 | 岐阜県教育委員会社会教育文化課 |
問い合わせ先電話番号 | 058-272-8754 |