大洞城からの転戦です。登城口付近の空スペース(35.767350、137.292254)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、応永年間(1394年〜1428年)に三木正頼によって築かれたようです。
三木氏は1411年(応永18年)姉小路尹綱の乱を鎮圧した功によって、京極高員(高数)が足利幕府より飛騨国竹原郷を得ると、三木正頼が京極氏の代官として竹原郷に入部したことにはじまるようです。
三木氏は二代三木久頼の代に竹原郷を横領し、その後も勢力を拡大して三木自綱の時代には松倉城と桜洞城をそれぞれ夏と冬の居城として飛騨に君臨しました。
宮地城は三木氏が居城を移した後も一族が城主をつとめ、天正年間(1573年〜1592年)頃には三木良頼の弟三木頼一が城主でした。
大洞城から向かう途中、工事による通行止めや片側通行等で到着時間が遅れました。
外堀跡を過ぎ、内堀跡のある主郭に辿り着きます。現在、主郭には御嶽神社が奉られています。
攻城時間は30分くらいでした。
次の攻城先=下呂森城(城びと未登録 岐阜県下呂市)を経由して萩原諏訪城に向かう予定でしたが、到着時間の遅れにより、直接、萩原諏訪城に向かいます。
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