おおだいらじょう

大平城

静岡県浜松市

別名 : 大退羅城
旧国名 : 遠江

投稿する
東曲輪の先の堀切
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

良い城跡だとは思うんだけど。 (2024/04/29 訪問)

大平城は本丸にたどり着くまでが大変ですが、ひとたび裏手に回り込めば、比較的楽に散策が可能です。尾根上に東西に曲輪が連なり、先を堀切で防いでいます。本丸の周辺にも腰曲輪が配され、北西にも曲輪が続きます。この時は、まだ気候が良かったので気持ちよく散策が出来ました。問題は帰り道です。行きと同じようにヤブシダが行く手を塞ぎます。
とにかく出曲輪までたどり着かないといけません。ルートがわかっているのに、非常に進みづらい。案内板も文字が消えかかっているし、ちょっと手入れが必要だと感じました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

宗良親王ゆかりの山城 (2024/04/29 訪問)

大平城には三回行ってます。一回目は道が良くわからなくて断念しました。比高はそれほどでもありませんが、なかなか手ごわい山城です。もうちょっと草を刈ってくれたらと思いますね。
なかなか由緒がありまして、南北朝の時代、三岳城が落城した際に宗良親王が逃げ延びて来ています。しかし高師泰、仁木義長らに攻められ、暦応3年(1340)に落城し親王は信濃に落ち延びています。
五体力神社に入口があり、神社の東(右側)背後から出曲輪に道が続いています。出曲輪から本丸への道が最大の難関で北東側に道がありますが、ヤブシダで覆われていて良く見えない上に急坂が下に続いています。ここを下ってから本丸に登って行きますが、ここも雑草が生い茂っています。心が折れそうになりますが、本丸まで到達すると雑草もめっきり無くなるので、散策がしやすくなります。
東に曲輪が続いていて先に堀切がかかっています。これらの遺構から戦国期に今川か徳川の改修を受けているようですが、それほど凝った構造ではないです。本丸の西側にも曲輪が続き先に堀切があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:大平城 (2021/07/01 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の7城目は大平城です。
三岳城から転戦。大平城址駐車場(34.845908、137.747490)に駐車しました。

大平城は、南北朝時代南朝側についた井伊谷における井伊氏の支城として三岳城などとともに築かれた城です。
三岳城が落城した際、南朝方の井伊道政が宗良親王とともにこの城に逃れましたが、北朝方の仁木義良らの夜襲にあい落城し、おそらくそのまま廃城になったと思われます。

現在城址には土塁や堀切、竪堀などの遺構が残っており、山麓にある五体力神社の参道入口に案内板と石碑があります。
看板のある所に車を止めて、神社の方からではなく駐車場の東側から山に登りました。本丸跡まで10~15分くらいで行けました。ほかにも郭があるようでしたが、とにかく本丸まで行ったのでよしとしました。
攻城時間は25分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

井伊氏の支城 (2020/12/29 訪問)

 井伊氏の支城です。五体力神社の参道より登城しました。神社の右側に城址への道があります。「おいだいら」が正式な読み方らしく地元の方に教えていただきました。案内板にも「おいだいら」と書いてありました。出丸を越えるまではシダ類に道が被われ足下も結構悪路ですが、その後は草木に悩まされることなく歩きやすい道となります。東西南北に曲輪が展開していてわかりやすい縄張りです。見どころは堀切で東曲輪と西曲輪へ行く途中から北西にある堀切は見ごたえがあります。北側にもあるようですが、急坂で足元も石がごろごろしていましたので近くには行っていません。城址には案内表示らしきものが各所に立っていますが、消えてしまっていてほとんど読めません。読めたのは「東曲輪」だけでした。
「はままつフルーツパーク」あるいは新東名高速道路浜松サービスエリア北側にあり、浜北三ケ日線の道路北側に駐車スペースと案内板があります。バスは毎日走っておらず本数も少ないようです。天竜浜名湖鉄道「宮口駅」もしくは「フルーツパーク駅」から歩くと30分以上かかると思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 複郭式山城
築城主 不明
築城年 南北朝時代
主な城主 井伊氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(大平城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県浜松市浜北区大平字城山
問い合わせ先 浜松市役所生活文化部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466