じょうがんじじょう

成願寺城

福井県福井市

別名 : 一乗三ノ丸
旧国名 : 越前

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ぴーかるさんの足跡に感激 (2026/04/03 訪問)

 2022年の昌官忠さん迷子事件を受けて、ぴーかるさんが案内した「波着寺跡方向の板がありますので北方向に曲がり150m程直進(途中から土の道の民家の間を通る)すると公衆電話BOXを再有効利用した波着寺記帳所と鳥居がありますのでそこが登山口になります」が助けになりました。写真3が「途中から土の道」なんですね。最初、舗装道を道なりに行き、別の鳥居のところに行ってしまいました。
 登り始めると、つづら折れを貫く竪堀の規模の大きさに驚きつつ、「茄子畑の跡 此の下谷底」と意味深(?)な看板を見て、本堂跡に到着。ぴーかるさんはこの背後を直登されたのですね。直登できないことはないが..と周りを見渡すと、右手にピンクテープを発見。とある煩悩の登城目録さんが行かれた埋もれかけの階段を利用できました。尾根に上ると、主郭までに4本の堀切(主郭下は二重堀切)。主郭を超えて西にも大小6本の堀切を数えて、まだ城域は続いてそうでしたが、ぐっと下がる切岸のところで引き返しました。主郭の南側にも大規模な造作がありました。
 さて、表題の件ですが、公衆電話BOXを再有効利用した波着寺記帳所のノートに記帳したあと、もしかしたら、ぴーかるさんも記帳されているのではと思い、2022年の箇所を開いたところ、「城びと ぴーかる」と記帳されているではありませんか! こんな記帳もあるんだと感激。私は、本名を書いた脇に「城びと あ」と書き足しました。

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前波吉継 (2025/04/17 訪問)

 朝倉氏の拠点である一乗谷の下城戸口から北西に3.5Km北西に位置しており、一乗谷城の出城の一つと考えられている山城です。城主は朝倉氏の重臣前波吉継で、織田信長との戦いで朝倉氏を裏切り織田軍の侵攻の先導役を務めた武将として知られています。
 城は尾根に堀切を幾条も設けている縄張りですが、古墳も利用しているようです。堀切、竪堀などが残っていて楽しませてくれます。主郭には土塁を観ることができますが、かなり藪となっていました。今回は行きませんでしたが、主郭から東側へ歩いて行くと北へ尾根が伸びていて進んで行くと上の城があり、主郭から西側へ下って行くと下の城あるようです。

 住まいの展示場家の森の近くに波着寺の説明板があり、北側には波着寺跡へ向かう標識があります。まずは波着寺跡へ向かいます。道はありますが、倒木、倒竹などあり少し荒れていました。波着寺本堂跡から右手にテープが付けられている木があります。そこに階段があり登って行くと階段が途中で消えていて(実際は見つけられなくて)そこから直登しました。すぐに城域である尾根筋へ行くことができました。帰りは降り口がわかりにくのですが、赤と白のテープが巻いてある木が目印です。そこから下山するとすぐ下にと埋まった階段があり容易に下山できました。階段は堆積物で埋っていますが、両側の杭だけが出ていて通路は把握できます。登りのときも捜せば尾根筋近くまで続く両側の杭だけが出て埋まっている階段は見つけられたと思います。

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小城小次郎

緩めの普請が意味するところ (2024/05/12 訪問)

足羽川洪水に由来する波着寺(金沢に移転済)の裏山にあるが波着寺城ではなく成願寺城で、成願寺の名の由来がわからんとか。東郷槙山城とともに一乗谷の前面を守る城と位置付けられるが普請は緩めなのがむしろ特徴なのかも。

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ぴーかる

成願寺城 (2022/11/05 訪問)

【成願寺城】
<駐車場他>成願寺ふれあい会館
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸・畝状竪堀
<案内>城びと実質登城者初投稿いただきます。昌官忠さんが登山口が見つけられず断念したとのことなので詳細に。私の前投稿の波着寺跡にも投稿していますが、まず波着寺跡を目指します。<36.030677, 136.280050>のポイント岐路に波着寺跡方向の板がありますので北方向に曲がり150m程直進(途中から土の道の民家の間を通る)すると公衆電話BOXを再有効利用した波着寺記帳所と鳥居がありますのでそこが登山口になります。参道はつづら折りを登りますが真ん中を割くように1つづつに竪堀があり見応えあります。この竪堀は波着寺の遺構か焼失後に成願寺城の補強の為に造られたものかは分かりませんが明確に残るいい遺構ですので一見です。25分程度登ると波着寺跡にたどりつきます。ここで先に波着寺跡を一巡り見ておく方がお勧めです。それは波着寺の方が古くからあり、波着寺が一向宗に焼き討ちにあった後に成願寺城が出来たかあるいは時代が重複し相関関係にあったかもしれないので自分の中で考察できると思うからです。
 波着寺跡から山頂の成願寺城跡を目指します。私は本堂跡から直登し連続堀切の尾根上まで出ましたが、鐘楼堂跡の奥に山頂方向へ登る階段があります(階段は途中で無くなると思います)のでそこから成願寺城跡へ向かうことができると思います。帰路で迷ったので尾根の途中で出たら目印を付けておくのが良いと思います。尾根上に出たら左手西方向に尾根(連続堀切になっている)を進んだら主郭切岸下に着きます。波着寺跡から城跡まで15分くらいです。

<感想>成願寺城の詳細はよく分かっていませんが、戦国時代に築城され、主な城主に朝倉氏の重臣で信長に内応した前波吉継(のちの桂田 長俊)がいます。城跡は東西に伸びる細尾根を利用した縄張りで前述の東側の連続堀切を過ぎ主郭の手前に2重堀切があります。主郭とその先に各々ある曲輪の切岸は高く攻略しがいがあります。主郭は狭く土塁囲みで南側のゆるやかな傾斜に畝状竪堀がありますが少し薄くなっています。城跡の西側は南に伸びる尾根とそのまま西へ下っていく尾根が分岐して曲輪になっています。西端には巨石があり城はここまでかなといった感じです。
 山地の西麓付近に城びと未登録の成願寺城下の城があるのですが山頂から少しトライしましたがだいぶ距離があるようなので断念しました。波着寺跡の御清水跡から西方向へ向かうと比較的楽に行けるようです。
 戻り道が尾根から適当に直降りしたものだからロストして迷いまして最後波着寺の鐘楼堂跡に出ることができました。途中ぬかるみにブヒブヒの足跡が無数にあったので確実に居ます(怖)。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 前波吉継(桂田長俊)
築城年 戦国時代
主な城主 前波氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)、畝状竪堀
再建造物 説明板
住所 福井県福井市成願寺町