梶原景時はかつて一宮を所領していて当地に館を築いたとされています。一之宮天満宮は館の一角とされ、そこに石碑が建っています。北側の宅地が土塁や堀跡の伝承地とされています。残存土塁が有ると案内板の地図に記載がありますが確認できていません。
源頼朝の死後、多くの家臣から反感を買っていた景時は正治元年(1199)11月、鎌倉を追放され、一族郎党を率い一宮館に引き揚げ、翌年正月20日午前二時ごろ秘かに館を出発したと案内板に記されています。景時一行はその日のうちに駿河国清見関近くで地元武士団と戦闘になり、生き残った者は山に引いて戦うも全滅したとのことです。
館の留守居役の家臣は翌年尾張に移ったとされますが、これは羽黒城に移ったということになるのでしょうか。
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