2021/08/27
萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第26回 福知山城 丹波平定後に築かれた、明智光秀ゆかりの城
城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。26回目の今回は、2020年・2021年に放送されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が築いた福知山城(京都府)をピックアップします。(※2020年1月16日初回公開)
福知山城の天守。昭和61年(1986)に再建された
探さなくても目につく、膨大な数の「転用石」
2020年・2021年に放送された、明智光秀が主人公の大河ドラマ『麒麟がくる』。福知山城は、その光秀ゆかりの城のひとつです。
金ヶ崎の戦いや比叡山延暦寺での活躍により織田信長の重臣となった光秀は、天正3年(1575)から丹波攻略を命じられ、紆余曲折あるも天正7年(1579)にこれを平定します。その後、丹波支配拠点の一つとして前身の城を大改修して築かれたのが福知山城です。娘婿の明智秀満が城代として置かれたため光秀が在城していたわけではありませんが、城や城下町づくりには関わったと伝わり、地子銭(宅地税)を免除するなどの基礎固めを行ったとされています。
福知山城の最大の特徴は、なんといっても膨大な数の転用石です。宝篋印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔、石仏などを石垣の石材として利用しています。その総数は、なんと500点以上にも及びます。
転用石の約6割は、光秀時代の構築と思われる天守台に集中しています。本丸の西側に立ち天守台を見ると、天守台の左側に石垣の継ぎ足しを示す斜めの線が見えます。この線を境に、南側が光秀時代と考えられる天守台です。
転用石は、おもに石材不足のため周辺から集めたと考えられます。中には一辺62センチ超の宝篋印塔もあり、かなり大きな墓所や寺院からも調達したようです。延文4年(1359)から天正3年(1575)の紀年銘が確認されています。
天守台の転用石
「明智藪」と呼ばれる、治水工事の名残り
福知山城は、南西から伸びる丘陵を分断して独立させて、本丸を置いています。伯耆丸(ほうきまる)公園と本丸の間にある、谷底のような窪んだ一帯が、かつての二の丸。城の北側に、由良川に沿うようにして城下町が形成されていました。
城下町の東側にある「明智藪」と呼ばれる堤防は、光秀が行ったと伝わる治水事業の名残です。かつての由良川は、現在のJR福知山駅付近まで流れ込んでいました。この流れを塞き止めて外堀とし、城の北側に城下町を形成したのです。城下町北端の丹後口が防御性の高い食い違いになっているのは、丹波の旧勢力のほか、信長が敵対する毛利氏を警戒してのことでしょう。緊迫した時代背景が伝わってきます。
明智藪。光秀が由良川の流れを堰き止めるため構築したと伝わる
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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。