熊本城の「いま」 <熊本城特別公開記念インタビュー> 復興担当者に聞く「公開までの道のりと復興のこれから」【前編】

2016年4月に発生した熊本大地震。熊本城大天守の外観復旧を記念した特別公開が2019年10月5日からスタートした。城全体の完全な復旧まではこの先18年以上の年月が予定されているが、特別公開は復興への大きなステップである。今回は、熊本城総合事務所・副所長の濵田清美さんに特別公開までの経緯やその見どころ、復興の課題と今後の予定について聞いた。最新の写真とともに紹介しよう。

熊本城天守閣
公開された熊本城天守閣の勇姿(特別公開ルートから撮影)。大天守は外観復旧が完了し、足場の撤去が進められている。一方、小天守は復旧工事中

〝難攻不落の城〟ゆえに復旧工事も〝苦戦〟

熊本空港から熊本市街地までレンタカーで約40分。車から降りてすぐに目に飛び込んできたのは、まばゆいばかりに白光りする、丘陵にそびえ立つ大天守の姿だった。熊本大地震によって鯱や瓦が崩れ落ちた大天守は、その後建物全体が足場に覆われ、復旧工事が進められてきた。外観の工事を終えた大天守は、瓦が葺き直され、まるで〝新築〟のようによみがえったのである。市街地から眺める威風堂々としたその姿は、熊本城の復興が着実に進んでいることを象徴するようなたたずまいだった。

城郭、電車通り
市街地の電車通りから見た熊本城の姿。大天守は新しい屋根瓦の継ぎ目に白漆喰が施され、きれいな姿に生まれかわった

2018年3月に策定された熊本城復旧基本計画において、熊本市は天守閣の復旧を最優先で行うことを発表した。被害が城の全域に及ぶなか、天守閣の復旧が優先されたのはなぜなのか。日々、熊本城復旧に携わる、熊本城総合事務所副所長の濵田清美さんにうかがった。

(濵田) なぜ天守閣が優先されたかというと、地震直後から、天守閣復旧を願う多くの市民の声が届けられたからです。「元気のない天守閣を見ると、自分たちも元気が出らん」、「一刻も早く復旧してほしい」という声を何度もいただきました。

濵田清美さん
取材に答えていただいた、熊本城総合事務所・副所長の濵田清美さん。天守閣は「その勇壮たる姿で市民・県民の暮らしを見守り続けてきた熊本のシンボル」と語る(写真/畠中和久)

明治の西南戦争直前に焼失し、1960年(昭和35)に市民・県民からの寄付によって再建された熊本城の天守閣は、丘陵の上にあって街からよく見えるということもあり、熊本のシンボル的な存在になっています。震災で傷ついた天守閣を見て、「熊本城は私たちの心の支えだったんだ」と気づいた市民の方も多いのではないでしょうか。

もうひとつ、技術的な面で、天守閣の復旧が優先された理由があります。天守閣は石垣の上に鉄筋コンクリート製の外観復元天守が建っているのですが、じつは大天守は8本、小天守は4本の杭で支えられており、石垣が崩落しても建物は倒壊を免れました。また、杭には損傷がなく、大天守は建物と石垣が直接接していなかったため、石垣と建物の修復を同時に進めることができるとわかったのです。

ただし、小天守は建物の一部が石垣に直接載っていたため、建物のダメージは大天守より大きかった。また、石垣も大きく崩落しており、石垣の復旧後に建物の修復を行う必要がありました。大天守のほうが復旧が早く、小天守の工事に時間がかかっているのはそれが理由です。

熊本城は、築城名人と謳われる加藤清正によって築かれた堅城として名高い。城の四囲には10mを超す高石垣が立ちはだかり、城内に入っても複雑な虎口や屈曲した登城道が攻め手を阻んでいる。城ファンから〝史上最強の城〟に推されることも多いゆえんだ。ただし、その〝鉄壁さ〟が、復旧工事の障害にもなっているという。どういうことか。

(濵田) 熊本城は「難攻不落の城」と称されるとおり、「守りやすく攻めにくい」構造をしているのですが、それが復旧工事のやりにくさに直結しています。石垣に囲まれた通路は狭く、工事車両の通行を妨げていたからです。

天守閣の復旧に向けても、まずは工事車両の動線の確保からはじまりましたが、「攻めにくい」ということは「天守閣までなかなかたどり着かない」ということでもあり、動線の整備がたいへんでした。

特に行幸坂から天守閣にいたる登城道は、石垣に囲まれた細い通路になっており、車の進入は不可能です。そこで、崩れた石材の回収を行ったのち、石垣をまたぐように仮設スロープを設置しました。工事用に築いた仮設スロープが、今回の特別公開でも通路になっています。工事車両の動線を整備して天守閣の復旧に取りかかれたのは、地震から1年後のことでした。

特別公開ルートの通路
石垣をまたぐように設置された工事用スロープ。特別公開ルートの通路にもなっている(非公開エリアから特別な許可をもらい撮影)

足場に覆われた小天守はロボットのよう

さまざまな苦労を乗り越えて実現した大天守の復旧を記念して、特別公開が2019年10月5日からはじまっている。大きな被災を受けて立ち入りが規制されてきた城内を、見学ルートから見ることができるのだ。

特別公開の第1弾では、二の丸広場から入り、西出丸から工事用スロープを通り、天守閣前広場にいたるルートが公開される(なお、公開は特別な日を除き、日曜・祝日限定となる。また、天守内に入ることはできない。詳細はページ末のガイドを参照)。濵田さんに、特別公開第1弾の見どころを聞いてみた。

特別公開第1弾、ルート
特別公開第1弾(黄色い箇所)と第2弾(太い赤線の箇所)のルート(熊本城総合事務所提供)

(濵田)二の丸広場の入り口から入ると、通路の先に、すぐに崩れた石垣を見ることができます。震災で一部が崩れた石垣は、さらなる崩落を防ぐために防護ネットで覆われ、部分的にモルタルで仮固定しています。そうした石垣に触れたり、ルートの外に立ち入ったりする行為は、危険ですので決してしないようにしてください。

熊本城、石垣
モルタルで仮固定された石垣。モルタルと石垣の間に保護シートを敷くことで、石材を保護している(特別公開ルートから撮影)

西出丸からスロープを上ると、左手に日本唯一の現存五重櫓である宇土櫓が見えます。宇土櫓をはじめ13ある重要文化財の復旧は、天守閣とともに最優先事項と位置づけています。

宇土櫓は一見すると損傷はないように感じますが、建物全体が北側に傾いており、内部もダメージを受けました。また、宇土櫓が建つ高石垣も、はらみ(膨らみ)が見られます。倒壊した続櫓はすでに解体保存工事を完了しており、今後は石垣の調査を踏まえた上で、宇土櫓の復旧の進め方を協議することになります。

ちなみに、宇土櫓は1927年(昭和2)に解体修理工事が行われ、その際、内部に筋交いによる補強が施されました。この時の補強がなければ、もしかしたら今回の地震で倒壊していたかもしれません。

宇土櫓、高石垣
特別公開ルートから撮影した宇土櫓と高石垣。写真中央下の部分に石垣のはらみ(膨らみ)が見られ、宇土櫓の復旧と合わせて検討が続いている

宇土櫓を左手に見ながらスロープを進むと、徐々に天守閣の姿が見えてくる。白漆喰が施された屋根と黒塗りの下見板張りのコントラストがじつに美しく、感動を禁じ得ない。

(濵田)大天守の外観は修復工事がほぼ終了しており、残されている足場は2020年1月頃までに撤去される予定です。一方、被害の大きかった小天守は、鉄骨の架構を組み、建物と石垣を切り離して工事が進められています。すっぽりと足場に覆われた現在の姿はまるでロボットのようで、どこか愛らしさも感じます(笑)。小天守は、2020年度内に最上階の外観が完成し、修復された姿が徐々に見えるようになります。訪れる度に表情を変える天守閣の姿をお楽しみください!

小天守、工事
被害の大きかった小天守は、建物と石垣を切り離して工事が進められている(特別公開ルートから撮影)


<特別公開ガイド 熊本城特別公開 第1弾>
【公開日】日曜・祝日限定
【公開時間】9:00〜17:00
 *10月5日〜14日(月)は平日も公開。10月5日、及び10月7日〜11日の公開時間は13:00〜17:00となる。
 *11月30日(土)、12月7日(土)、14日(土)、30日(月)、31日(火)は公開予定。
 *ルート以外の立ち入りは厳禁。また、天守内に入ることはできない。
【料金】大人500円、小人200円(入園券の販売は8:45〜16:00)
【問い合わせ先】096-352-5900(熊本城総合事務所)

▼インタビュー後編では、段階的に公開を進める狙い・目的をうかがいました。

執筆・写真/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。城関連の主な編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『はじめての御城印ガイド』(ともに学研プラス)、『廃城をゆく』シリーズ(イカロス出版)など。

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